人間の可能性というもの

リオ五輪を観ていて、ふと思いあたった。以前、当欄で「オリンピックと限界 」というタイトルのブログを書いた。4年前のロンドン五輪の時である。

「人間が人間である以上、各種目で記録の限界に到達する時がいずれはきてしまう」という内容を述べた。だが、限界をつくるのは人間であり、限界という枠はもしかしたら自己規定によって生み出されるのかもしれないとの思いにかられた。

「いずれは」との考え方は常識的にはしごく当たり前のことだが、記録というものに限界を設定すること自体、世界の第一線で活躍する選手たちに失礼なことかもしれない。

リオ五輪の競泳を見る限り、限界といった言葉は無縁のようでさえあるからだ。

ハンガリーのカティンカ・ホッスーは女子400メートル個人メドレーで世界新を2秒以上も縮めたし、同じく女子競泳400メートル自由形では、アメリカのケイティ・レデッキ―がやはり2秒以上も世界新を短縮している。

たとえば、10年前に400メートルを競ったことのあるスイマーであれば、この記録がほとんど想像できないものであるかと思う。

日本人選手による世界新はなかなか出ないが、人間の可能性というものは計り知れないということを改めて感じるのだ。

これは単に理想論ということではない。いつも前を向いて肯定的に生きる、といった自己啓発的な発想からでもない。

人間には「無極の可能性」というものがあるように思えてならない。

ベイスターズとイケジュン

Baystars8.4.16

たまにはブログらしい写真を1枚。

4日午後6時。横浜スタジアムでタイガース対ベイスターズ戦を観戦。左手で自撮りをしているのはイケジュン。

イケジュンと言ってもお分かりにならないでしょうが、横浜DeNAベイスターズ社長の池田純氏です。35歳で社長になってから5年。さまざまなアイデアを形にし、観客動員数を2倍以上にした手腕は目を見張らせられます。この日も満員御礼。

チームとしても長年のBグループから今年は現在3位に。監督「ラミちゃん」を連れてきたのも彼です。10年以上前、彼が博報堂にいた時からのつき合いです。出会ってまもない頃、こう言っていたのを想い出します。

「堀田さん、ボク社長になりたいんです」

ファイアボールのような熱血漢です。

悪太郎に戻ったトランプ

共和党全国大会で党をまとめたはずだったドナルド・トランプだが、モラルの低い言動で再び党内がざわついている。「トランプで共和党は大丈夫なのか」といった空気なのだ。

「決して大丈夫ではないですよ」と言ってやりたい。

イラク戦争で息子をなくしたイスラム教徒のカーンさんという人が、民主党全国大会でトランプに対し「あなたは何も犠牲にしたことがない」と批判した。するとトランプは無慈悲な対応をし、その言動に非難が集中した。

さらに自身の政治集会で乳児が泣いていたところ、「私は赤ちゃん、好きですから」と一時は問題視しなかったが、すぐに「会場の外にだして」と態度を変えた。

また、トランプ支持を打ち出している下院議長のポール・ライアンや上院議員ジョン・マケインを冷たくあしらった。両議員は今年11月が再選で、トランプは返礼として両者への支持表明をすべきところだが、支持しない意向である。

私は連載原稿の中でもテレビやラジオでも「ヒラリー有利」と言い続けており、トランプがトランプでいる限り、ヒラリーを勝たせる結果へと進んでいるように思える。

共和党内の一部からは本選挙を前に、「トランプを他の候補に差し換えられないか」といった声さえ出ている。

11月8日は州の取り合い形式の選挙で、スイングステート(激戦州)のバージニアやオハイオ、フロリダは現在ヒラリーが獲得しそうな勢いだ。ノースカロライナもヒラリーが獲る可能性さえある。そうなるとヒラリーの圧勝が見えてくる。

小池都知事

小池百合子が大方の予想通り、都知事選に圧勝した。

東京は有権者の多くが無党派なので、左寄りの候補に票が集まることもあれば、右寄りの候補が大勝することもある。

選挙結果には、有権者ひとりひとりの思いが反映される。アメリカでも同じである。「ハンサムだから」が一票のきっかけになる。「女性だから」もしかりである。

小池は主要3候補のなかでは未来図への期待がもっとも高かった。自民党を「形だけでも」出て、敵に回して戦ったところに都民は潔さを見いだしたのだろう。

増田は自民・公明の言いなり的な言動が目立ったし、鳥越は行政の長になるスタートラインにも立てていない印象があった。ジャーナリストとしてのかつての爽やかな語り口は失せていた。

3候補とも個人的に多少かかわりがある人たちだったが、知人と呼べるほど親しくはない。

今回の選挙でもっとも驚いたのは、自民党都連が「推薦候補以外を支援した議員(親族等含む)は除名等の処分の対象にする」とした点だ。

自民党の議員が推薦候補に一票を入れることは理解できる。しかし親族は別である。子どもや親は自民党支持者でないこともあるし、違うことを認めないというのは基本的人権の侵害である。

親族だからとの理由で投票行動を強制すること自体に矛盾を感じないといけない。「こんな不条理なことを強制してくる政党の議員には票を入れない」と思うべきである。

気になるのは小池が自民党を「出た」とはいえ、選挙中に「新しい歴史教科書をつくる会」という右翼団体の支援をうけていたことだ。いま話題の右翼団体「日本会議」とも関係が深く、一時的に自民党と表面的な対立の構図を見せても、本質的に右派である点に何ら変化はないということだ。

できれば4,5年先の東京を見据えるだけでなく、50年後、100年後の東京の姿を想起して都知事を務めてほしいと思う。理想論だが、偉大な政治家になろうとしたら、大局的にモノを見なくてはいけないはずである。(敬称略)