全米史上最悪の銃乱射事件

whikipedia6.15.16

by Wikipedia

米フロリダ州オーランドで6月12日に起きたテロ事件は、米国が抱える3つの憂慮の根の深さを改めて示すことになった。解決不能と思えるほどの深みを見せられた思いさえある。

3つの憂慮とは、テロリズムとの果てなき戦いであり、次が銃規制、3つ目が性的少数者(LGBT)の処遇である。

100人以上の死傷者を出した米史上最悪の銃乱射事件は、3つの問題とどう向かい合うかを根本的に問うたことになった。大統領選の争点として新たに浮上してもいる(テロ主戦場ついに米国内へ、拡散招く3つの憂い)。

幻想の平等主義

先日、『日本語が亡びるとき』(水村美苗)という本を読んでいると、思わず線をひきたくなる一文にでくわした。

「平等主義は、さまざまなところで、私に現実を見る眼を閉じさせた」

いきなり、こんなことを書いても「なんのことだろう」と思われるかもしれない。前後の脈絡を少し説明しなくてはいけない。

著者の水村はこの本で小林秀雄賞を受賞していて、久しぶりに出会った秀抜なエッセイである。日本文学だけでなく話はさまざまな分野におよんでいる。

その中で、水村は日本の戦後教育が民主主義という名のもとに、子どもたちに平等主義を教え込んだと書いている。古い言葉であるが、「職業に貴賤(きせん)なし」という、職業に身分の高い低いはないという考え方を教え続けたというのだ。

平等主義が悪いわけはない。理念的には正しい。職業によって偉い人やそうでない人がいるという考え方をしてはいけないことは誰もが知ることだ。

だが水村は社会的経験を積んだのち、平等主義を真に受けるような教育によって「職業に貴賤がある事実に眼を閉じさせる」と書くのだ。子どもたちに社会は平等なのだと教えることはいいが、実際の社会に真の平等はない。

まだ実現していないと書くべきかどうかは疑問の残るところで、人間が人間である以上、真の平等社会は訪れないかもしれない。不平等社会のなかで平等主義を唱えることに対する矛盾があるのだ。

水村はさらに書く。

「この世には限られた公平さしかない。善人は報われず、優れた文学も日の目を見ずに終わる」

これが現実の世界である。大人は意識的に、または無意識的に知覚しているが、それを再認識するとガクンと肩を落とすような寂寥感しかおとずれないので、私は心のなかで跳ね返すことしている。(敬称略)

ヒラリー有利の数字

hillary6.8.16

ヒラリー・クリントンが民主党の代表候補に決まった。新聞や通信社は「代表候補」ではなく「指名候補」という書き方をする。

意味は夏の全国党大会で「党代表に指名される候補」という意味だが、分かりにくい。だから当ブログではずっと代表候補と書いている。

指名候補という言葉は過去何十年も、アメリカに渡った特派員が使い続けている言葉である。これは英語の「nominated(指名される)」の直訳で、日本語としてしっくりこない。民主党と共和党の代表になりますということだから、代表候補の方が適語と考える。

今年は年頭から「ヒラリー対トランプの戦いになる」と述べてきたので、多くの方から「どちらが勝ちますか」と訊かれる。春先から「ヒラリーが優勢です」と答えている。

すると、「トランプの方が勢いがあるのでは?」という反応をされることがある。確かにトランプは共和党の16人の主要候補を蹴落としてきた勢いがある。

だが11月8日の本選挙は州ごとの取り合いになるため、現時点でもヒラリー優勢という図に変化はない。私はすでに数字を出している。

実はアメリカの有権者の政治志向は4年前とほとんど変わっていない。さまざまな要因を検証し、現時点では「51.5%前後の得票率でヒラリー勝利」と書いておく。現段階でここまで言う人は「たぶん」日本にはいない。

4年前の6月にもオバマ対ロムニーの対決の予想を51%前後でオバマ勝利と記し、その通りの結果になった(大統領選、いまだオバマ有利 )。実際の数字は51.4%。毎日のようにアメリカで公表される世論調査は、対象人数が約1000人で「揺れる表象」に過ぎない。

11月は6000万人対6000万人というレベルの対決である。極言すると、すでに大勢は決まっている。ただアメリカ社会の微細にも目を向ける必要がある。その中でパーセンテージが少し変わってくる。

それから、『日刊ゲンダイ』で大統領選の連載を断続的に行っている(誰が勝つ 「米大統領選」核心リポート )。お読み頂ければ幸いである。

弾丸スピーカー

やはり言っておくものである―。

何をかといえば、「大統領選をライフワークにしている」という主張である。それによって、どこからか私の仕事を垣間見てくれる人がいて、連絡をいただける。ありがたいことである。

放送メディアや活字メディアからの依頼だけでなく、講演の要請もある。

つい先日も新潟県長岡市の団体から講演の依頼を受けた。できるだけ依頼は断らないようにしているので、その日も(*^o^*)で出向くことにした。

講演は午後6時からだった。その日は締切原稿が1本あったので、午後2時までに終わらせて、支度をして東京駅に向かう。

先方から送られてきた新幹線の切符をみると、往復の電車がすでに指定されていた。午後3時40分発の上越新幹線「とき」である。1時間45分で長岡に着く。車内で講演用のパワーポイントの流れを2回、確認する。

長岡駅に着くと、ホームまで担当の方が迎えに来てくれていた。「長岡は山本五十六の出身地なのです」という話を聞きながら会場へ向かう。

打ち合わせもほどほどに講演会場に入ると、すでに聴きにきてくださった方が着席されていた。すぐに本番の時間がきた。

パワーポイントのスライドを替えながら、90分間しゃべり続ける。沈黙は許されない。ひたすらマシンガンのように撃ちまくる・・・そんな印象である。

大統領選について、自分で撮った写真も交えながら話をしたが、相変わらず笑いがとれない。「小さなクスッ」が2回あったか。

笑いが求められていないことは知っている。だが「ハッハッハ」が何重にも合わさった爆笑が会場いっぱいに広がる喜びもあじわってみたい。

以前、タモリがある番組でこう言っていた。

「普段、面白いことを言えない人が、スピーチで面白いことを言えるわけがない」

練り込んだ笑いと、瞬時にして得られる天性の笑いがあるだろうが、私はどちらも持ち合わせていない。

その日の私は、スピーカー(講演者)としてはまあまあだったかもしれないが、聴きにきていただいた方々を楽しませるという点では赤点だっただろう。

講演がおわると帰りの新幹線の時間が迫っていた。長岡は初めて訪れる都市だったが、何も観ず、名物料理も味わえず、また「とき」に乗って午後10時過ぎには東京にもどった。

気持ちいいくらいの弾丸スピーカー・・・しかも打ちのめされた感を携えての帰り道・・・嗚呼