戦地での取材

ジャーナリスト安田純平がシリアでヌスラ戦線に拘束されている動画が公開された。安田である確証はないが、ほとんど本人と思って間違いないだろう。

1年ほど前に後藤健二がイスラム国に拘束され、殺害されたときに感じたことと同じ思いが去来している(同じジャーナリストとして思うこと)。ジャーナリストがリスクを背負い、いま起きている事象を世間に報道する価値は十分にあると認識しているし、その重要性も理解しているつもりだ。

ただ戦争ジャーナリストのリスクの高さは個人で限定できる場合とそうでない場合がある。自己責任という言葉がよく使われるが、拘束された時点から自分自身で責任を負えない状況が生じている。

後藤も、おそらく安田の場合も、イスラム過激派グループに拘束され、たとえ死という最悪の事態にいたったとしても、いたしかたないと考えているかに思える。2人とも内戦が続くシリアで、不測の事態に遭遇してもそれは本人の責任であり、誰からの非難も受けたくないといった気骨のようなものがこちらに伝わってくる。

それはいくつかの映像で彼らが語る言葉の節々から知覚できたし、そこだけは誰にも踏み込まれたくない領域であるかにも思える。つまりリスクを背負うのは自分たちであり、危機に直面するのはまぎれもなく本人であるため、拘束されて殺害されたとしても誰からも文句は言われたくないという心境である。少しばかり冷たく感じられるほど、こちら側は突き放された感がある。

彼らは映像であれ、活字であれ、リスクの高い経験に根ざした情報を提供して対価を得ている。特に映像であれば、高額な報酬につながる。それが彼らの報道スタイルなのであれば、何もいわない。

しかし昨年夏、安田純平が過激派グループに拘束されたかもしれないとの一報を聞いた時から、途方もない危うさを感じていた。「同じジャーナリストとして思うこと」で記したように、丸腰で敵陣へ入っていく姿勢は剛胆ではあるけれども、計り知れないリスクを増長していることも確かなのだ。

犯罪者として咎められるべきなのは過激派グループであるが、現実問題としていま彼らに重罪を科すことはできない。取材を敢行するのであれば、アメリカの特殊部隊に帯同する軽快さと体力、語学力を身につけてから戦地に入りこむのも妙案かもしれない。

一般的に特殊部隊は記者を同行させないが、戦争ジャーナリストが前線で身を守る術としては、プロの兵士に守ってもらうことが鉄則である。いまのシリアは丸腰のジャーナリストにとってはあまりにも危険な場所である。

願うのは、安田が無事に帰ってきてくれることだけである。(敬称略)