遅れてきた1通のハガキ

年賀状のやりとりもほとんど終えたと思った今日、1通のハガキが郵便ポストに入っていた。

誰かと思って宛名をみると、F氏の名字が読めた。

「そういえば今年は年賀状が来ていなかった、、、」

2008年に仕事でお目にかかった人である。共に船で上海に行く仕事で、船上でいろいろと語り合った。以後は再会していないが、年賀状のやりとりは続いていた。

私よりわずかに年齢が上で、旅の間は頼りになる兄貴という存在だった。

マンションのエレベーターのボタンを押す。私1人である。中に入りながらハガキを裏返す。「寒中お見舞い申し上げます」ではじまっていた。

身内の誰かが亡くなられたのだと思いながら、エレベーターの箱の中で文面を読みはじめた。すぐにF氏の奥様が書かれたハガキであることがわかった。というのも、昨年4月にF氏は他界していたからだ。

その事実を知った数秒後、両眼からいくつかの滴が頬をつたっていた。そしてエレベーターの中でしずかにF氏の名前を口にした。

自分でも、これほど瞬時に涙が溢れるとは思っていなかった。どういう経緯で亡くなったかは記されていないが、文面の最後に「上海までの洋上生活は楽しかったようです」と結ばれていた。

その文面を読んで、再度F氏の名前を呼ぶと涙がまた溢れた。

東京のシャッター通り

日本全国の商店街で「シャッター通り」が増えている。

地方都市だけではない。東京都内でも商店街として成りたたなくなった町は少なくない。

実家の最寄り駅である西武新宿線沼袋駅。北に向かう道路の両側には商店がつらなり、今でも多くの人で賑わっているが、そこから歩を練馬区に進めると昼間でもゴーストタウンのような景観になる。

徳田(とくでん)と呼ばれる地域は、幼少の頃、何軒もの商店が連なった商店街だった。けれども、亡父とよく行った肉屋は何年も前に姿を消し、2店舗あった八百屋もなくなった。

昔は「かんぶつ屋」と言った総菜を売っていた店も、魚屋も蕎麦屋も店じまいしている。今でも残っているのはパン屋くらいだ。酒屋と八百屋の跡地にはコンビニがオープンした。

それでは、どうして商店にシャッターが下ろされたのだろうか。

都市郊外や地方都市であれば過疎化や大型店舗のオープンといった理由が考えられるが、実家周辺の人口は減るどころかむしろ増加している。スーパーに客をうばわれたとの要因も考えられるが、周囲に大型スーパーはない。

ましてや車を使って買い物をする地域ではない。商店の前に車は停められない。住民は徒歩か自転車で買い物をする。必要な物品をすべてコンビニで調達できるわけではないので、どこかで買いだしてこないといけない。

となると車を出して遠くのスーパーへ行くか、通勤の帰り道に買い物を済ませるか、ネット通販で買いつけているということになる。

もう昔のような商店街が戻ってこないことは誰もが知っている。「地方再生」という言葉がよく使われる。地域活性化のプランも練られるが、都内の人口密集地であってもシャッター化は防げない。

店主と話をしながら買い物をする時代は多くの地域ですでに過去のものになったということである。

ホワイトハウスから送られてきた写真

1月3日早朝。メールをチェックすると、ホワイトハウスの広報から昨年のベストショット写真が何枚か送られてきていた。

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上の写真はホワイトハウスの執務室に紛れ込んだハエをオバマ大統領が見事にたたき落とした瞬間。

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オバマ大統領の正面に座っているのはミネソタ州ミネアポリス市に住む主婦レベッカ・アーラーさん。彼女は大統領に手紙を書き、「今の経済状況で子ども2人を育てるのは難しい。何とかしてほしい」と窮状を訴えた。大統領はミネアポリスに行った時、彼女に連絡を入れてランチを共にした。

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この日はバイデン副大統領とワシントン市内のハンバーガーショップでランチ。大統領はレストランに行くと気さくに店員と写真を撮る。ホワイトハウス専属のカメラマンに「カウンターの中に入った方がいい写真が撮れるんじゃないの?」と自ら進んでカウンターを乗り越えた。

写真は人となりを写しだす――。

世界一寒い場所

明けましておめでとうございます。

今年もさまざな分野に首をつっこみ、硬い話題から柔らかいものまで書いて行きたいと思っております。

今冬は例年よりも気温が低いように感じます。ただ東京の寒さなど、たかが知れています。地球上でもっとも気温の低いところはどこなのかと思っていると、すぐに見つかりました。

南極で観測されたマイナス89.2度という記録がありました。それでは人が住んでいる場所でもっとも寒いのはどこなのか。

ロシアのシベリアにオイミャンコという村があります。人口約800人。人が定住する場所としては世界で最も平均気温が低いとされていて、最低記録はマイナス71.2度。冬場の平均気温はマイナス50度らしいです。

どうしてこんな極寒地に人が住むのかと思っていると、村に温泉が湧いていました。地元の言葉(エヴェン語)で「不凍の水」のことをオイミャンコというのだそうです。

世界中に温泉は湧いていますが、料理も含めた日本の温泉文化は秀絶で、世界一だろうと思います。

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埼玉県秩父にある200年前の農家屋敷を改築した温泉