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「米国に第3の政党は必要ですか」

この質問に対し、米有権者の58%が「イエス」と答えている。9月24日に発表されたギャラップ調査の結果だ。

言うまでもなく、米国には民主党と共和党の両党があり、2大政党制は米国政治の看板とさえいえる(機能不全に陥り始めた米国の2大政党制 第3政党を求める有権者だが、実現の道は険しい)。

想像の外側

毎日、いろいろなことが起きる。ただ想像を絶するようなことは極めて少ない。

人間が生をうけた時から死を迎えるまで、人の営みというのは大方が想像の枠のなかに入る。たとえば結婚を1度もしたことのない人であっても、結婚生活に思いを馳せれば、その営みは十分に想像の範疇の内側にくる。

もちろんカップルによって接し方や習慣が違うが、想像の外側にくるようなことは稀だ。

ただ今回の兵庫県神戸市長田区で起きた小1女児殺人事件は、容疑者君野の精神性という点で、なかなか理解できない。障害があったとの報道があるが、それでも殺害後に遺体をバラバラにするという行為は簡単に咀嚼できない。

今月初旬、アメリカのオハイオ州でもバラバラ殺人事件があった。世界のニュースに眼を這わせていると、バラバラ殺人事件は少なくない。

オハイオ州の事件は犯人の男が元恋人を殺害後、遺体を切断して心臓や肺、脳を食べている。カニバリズム(人肉嗜食)は日本では珍しいが、実はバラバラ殺人の時にはよくあることで、世界では年に数回ほどはあるかと思う。

犯人たちが「精神を病んでいる」という言葉で片付けてしまうことは簡単だが、問題はそれほど単純ではない。行為そのものよりも、犯人たちの内に秘めた闇を理解しようとしても、いまの私にとっては想像の外側にあることなので手がとどかない。

仮に長時間のインタビューをしたとしても理解できるかどうか、わからない。女児のご両親の胸中を察するとなおさらに釈然としないものが残る。

表現する自由と「いいかげんにしろよ」

今さらながらという気もするが、ツイッターやフェイスブックに載せられる写真や文章に、最近は「またかあ」とつぶやくことが多い。

SNSの利用者は十億を優に超え、何をどう書こうが、どういう写真をアップさせようが自由であるが、「ホラ、見てください」的な内容の書き込みや写真が多くてうんざりさせられる。そのため、私は数年前から積極的に利用しなくなった。

どこまで当人が意識しているのかわからないが、自己顕示欲で満たされた内容に「お友達」が本当に「いいね」と思っているのか疑問である。

レストランで出てきた一品をSNSに載せて、「これから食べます」というのはまだ可愛いかもしれない。もちろん潜在下に「おいしそうでしょう。私はこれから頂きますよ」といった刹那的な勝利と、小さな笑みが見え隠れすることは誰しもがわかっている。

それを見た人のなかには素直に「いいなあ」と言える人もいるが、私はそこまで純朴ではない。

というのも、書くことで生計をたてているので、こうした写真や内容がプロの世界ではもっとも受けないことを心得ているつもりだからだ。

読者をうらやましがらせることほど得点の低いものはない。だから優れた書き手のエッセイはほとんどが自虐である。自分を卑下して話が成り立つのだ。

林真理子のエッセイが何十年も続くのは、自分を落とし込める術を心得ているからだ。ジャーナリスティックな内容であれば、新しい情報や視点を提供しなくてはいけない。

もちろんSNSに掲載される写真や内容がすべて自己顕示欲に満たされたものであるわけはない。だが実に多い。本当に観た人が羨むとでも思っているのだろうか。

先日、カリフォルニア州の女性弁護士が半年間の活動停止を言い渡された。というのも、自分の公式ブログにヒラリーやオバマ、俳優ジョージ・クルーニーといったセレブとのツーショットを何十枚と載せたからだ。

それらの写真はすべてがあまりにもうまく合成されたニセ写真だったのだ。ネット上で実現した夢は単なる夢でしかなく、「私はこんな有名人とお友達なのよ」という浅薄な狙いは外れた。

ただ、思うのである。

日々の生活が辛く、世間から光が射しているわけでもなく、打ちひしがれるような試練の連続を乗り越えているような人が、せめてもの光をとの思いで「お友達」に見てもらう意味で「見て見て」とイタリアン・レストランで出されたパスタの写真を載せることを否定する権利はない、と。

何をどう表現するかの自由は与えられているのだから。それでも「いいかげんにしろよ」というのも本音である。(敬称略)

あるレイプ事件から見えるもの

日本では時に、重要な事件が主要メディアで報道されないことがある。テレビも新聞も扱わない。

たとえば強姦事件(ここではレイプ事件という言葉を使う)などは、日本では被害者がほとんど表にでてこない。顔をださないばかりか実名を公表する人がすくない。日本文化の中にいれば「何故か」は誰もが思い当たるだろう。

今年7月に公表された統計では、なんとレイプされた女性の67.9%は「誰にも相談していない」というのだ。親族や友人にさえ言えない人が、警察に被害届けをだせるはずもない。

それだけではない。主要メディアは警察批判になる内容を報道しない。だが1人のオーストラリア人女性は果敢にそうした壁を打ち破ってきた。

キャサリン・ジェーン・フィッシャー。父親の仕事の都合で30年ほどまえに来日。以来、日本で暮らす。

2002年4月、事件は起きた。横須賀の米軍基地近くで米兵にレイプされたのだ。すぐに神奈川県警に通報。県警はレイプされたばかりのフィッシャーを12時間近くも拘束し、病院につれていくこともせず、現場に連れ戻して証拠写真を撮り、さらに長時間の取り調べをする。

これが通常の手続きであってはいけないことは社会通念をもつ方であれば容易に理解できるだろう。犯人のブローク・ディーンはすぐに拘束されるが、横浜地検は男を不起訴にする。米軍も軍法会議で扱わないことを決定。

犯人への憎しみもあるが、県警の不条理な扱いにフィッシャーは国家賠償請求の裁判を起こす。だが一審、二審ともに原告フィッシャーの敗訴。最高裁への上告も棄却され、県警への訴えは退けられた。

しかしディーンへの民事訴訟では勝訴する。だがディーンは米国へ逃走。

フィッシャーは諦めなかった。10年の歳月をかけて男が米ウィスコンシン州ミルウォーキー市にいることを突きとめ、同市の裁判所に民事訴訟での履行をもとめる裁判を起こし、昨年10月に勝訴判決を得た。

そして半生を本にして今年6月に出版(http://urx.nu/bSCL)。

いまフィッシャーは日本のレイプ被害者に声をあげるようにと説く。犯罪者をのさばらしてはいけないとの思いだ。それがどれほど大切なことか、多くの人が認識すべきである。(敬称略)

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日本外国特派員協会のイベント直後のフィッシャーさんと。11日夜。