信頼を回復させるために

「いま彼女をつかまえられればスクープですよ、堀田さん」

知り合いのテレビ局プロデューサーは「見つけて下さい」といわんばかりだった。

彼女というのは、STAP細胞を発表した小保方晴子のことである。大々的に記者会見をしたあと、まったくメディアのインタビューに出てきていない。画像の再利用や論文の一部のコピペ等の問題が表面化する前から、彼女はメディアの前から姿を消していた。

メディアのインタビュー依頼にすべて応える必要はないし、その義務もない。研究者にとって、研究の継続の方が大事だからだ。だが彼女はメディアから逃げるように行方をくらました。

大手メディアが自宅や職場に張り込んでもつかまらない。それは単にインタビュー拒否というより、逃亡という言葉があたっているようにさえ思えた。博士論文も含めて、盗用や使い回しが明るみにでることを恐れていたのだろうか。

ネイチャーに掲載された論文は、マウスの細胞ではあるが、弱酸性の液体で刺激を与えるだけで万能細胞に変化するという画期的な内容だった。しかし研究者として、いや一般社会であっても倫理的に問題となる行為をしたことで、論文の本質にまで大きな疑問符がついてしまった。

データを改ざんして無理に結果をだしたとしたら、研究者としての信頼を失墜させただけでなく、理化学研究所や大学の名誉、さらには日本の細胞生物学の評判さえも落とすことになる。

私が唯一願うのは、STAP細胞の研究成果だけは本物であってほしいということだ。

以前、エイズ研究者の半生を描いた単行本を出版した。その時に学んだのは、多くの科学論文には実験のすべての行程が事細かに書かれていないということだ。論文で発表された実験は世界中の研究者によって追試される。だが、論文の指示だけで実験が成功するとは限らない。

たとえば、「試験管を振る」と書かれていても、激しく振るべきなのか、2回左右に振るだけなのか、それとも赤子が寝ているゆりかごを揺するようにするかは判別できない。実験は時に、その一振りで失敗する。

本当にSTAP細胞が誕生しているのであれば、小保方はその手法を世界に出向いて公開すべきである。それでしか失墜した信頼を回復させることはできない。(敬称略)

タクシーの中へ(2)

3月4日のブログ「タクシーの中へ」を書いたあとも、相変わらず乗っている。

50歳前後と思われる運転手さんは最初から笑顔だった。

「お待たせいたしました」

いろいろと話ができるかもしれない。そんな予感がしたので少し嬉しくなる。

運転手さんの方から話をしてくる話題は天気とスポーツ、その日のニュースや景気などが多い。悪くはないが、深い話ができそうな気がする時は、私はいきなり「ちょっと訊いてもいいですか」と言って切り込むことがある。

「いちばんおしゃべりなお客さんというのはどういう人ですか」

ドライバーは困った様子もなく即答した。

「おばさんですね。乗ってから降りるまで、自分のことだけを話していく人がいます。男性、特に若い男性はしゃべらないです」

男性の客は、若者でも中年でも、1人で乗車するとほとんど無口だという。恥ずかしがり屋が多いというより、他人とコミュニケーションを積極的にとることに違和感があるのかもしれない。もちろん酒が入ると一変する場合があることは推察される通りだ。

「カップルで乗られた時は女性よりも男性の方が饒舌なことが多いですね」

密室の中に一人だけ見知らぬ人(ドライバー)がいると、普段の会話とは微妙に言葉使いや内容が変化する。男の方が他者に対しての自己顕示欲が強いのかもしれない。

「いやあ、よくしゃべるオヤジだった」と思われているかもしれない。それでも訊きたいことがあるし、話したいこともある。

そういえば、妻から言われたことがあった。

「ちょっとおばさん、入っているかも」

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新しい英語(10)

テレビでもラジオでも、電車に乗っても英会話習得のための広告が目立つ。

35年前も同じだった。当時はカセットテープの教材で、繰り返し聴くべきだと勧められた。ずいぶん時間を費やしたつもりだが、喋れていると思ったことはなかった。

英会話教室にも通ったが、落ちこぼれた。

「ああ、もうこれで一生英語は話せるようにならないかもしれない」

少しだけ話せて、少しだけ聴けてという中途半端な状態がつづき、フラストレーションだけがつのった。

自分で「話せるようになった」と言えるだけのレベルに達したのは、アメリカに渡って2年ほどたってからである。そのあとも、知らない単語や表現がどんどん出てきて、語学は一生勉強だなという思いが強い。

短い表現でも「これは新しい」というものが少なくない。

That dinner was on hit!

この「….on hit」という言い方は昔からあるように思うが実は最近の言い回した。「very good」という意味。

日本語も新しい言い方がどんどん生まれているが、英語もしかりである。

タクシーの中へ

私はマイカーを持たない。その代わり、タクシーにたくさん乗る。たくさんといっても年間200回くらいだ。

それだけ乗るなら車を持った方がいいと思われるかもしれない。けれども200回くらいだと、東京都内の移動はマイカーよりタクシーの方が総経費で安価である。

タクシーではなるべく運転手さんと話をするようにしている。饒舌な運転手さんはこちらが話しかけなくとも語りはじめるが、こちらから何かを切り出すと、物静かそうに見えた人でもおしゃべりなことが多い。

景気の話になるとほとんど例外なく、近年は「以前のようには稼げない」と寂しげだ。安倍内閣になってから、売上があがったという話は聴いたことがない。

むしろ先日、「ひどいもんですよ」と言った恰幅のいい運転手さんの声が耳に残っている。

20年以上前のバブル時代を経験した運転手さんたちは、勤務日数が増えても手取りは当時の半分からよくて3分2でしかないと言う。真偽のほどはわからないが、収入が減っていることは間違いないだろう。

ただタクシーという密閉された空間で交わされる会話というのが微妙に作為的で、どこまで本当のことを語っているかは疑わしい。それは客側も運転手側も同様で、数十分間の「ご対面」ですべてを晒すことの方がむしろ不自然かもしれない。

互いに相手の様子をうかがいながら、どこまで言うべきかを瞬時に判断している。会話時間に制限があり、なおかつ2度とこの人には合わない可能性の方が高いことを両者は熟知している。

そこには多かれ少なかれウソが入る。ウソというより、自分はこう見られたいという邪念がタクシー内に漂うことがある。タモリはプライベートでタクシーに乗る時は素性がバレない限りさまざまな職業になりすますと言っている。

そこがスリリングで楽しい。そうした中にも真実が垣間見られるので、日常の中の小さな冒険と呼べるかもしれない。

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