ゴーストライターズ

12日になって謝罪文を報道機関に公表した佐村河内守。ゴーストライターをしていた新垣が6日に会見をひらいてから1週間近くも音沙汰がなかったので、自害も案じていた。

謝罪文の内容に信憑性があるかないかは別として、今後は民事訴訟が起こされて多額の賠償責任を負うことになるだろう。アメリカであれば、偽証罪等で刑事罰に問われる可能性も高い。

私がここで述べたいのはゴーストライターのあり方である。

言うまでもなく、ゴーストライターは過去も現在も数えられないくらい存在する。特に出版業界では、ゴーストライターなしでは成り立たないと言っても過言ではないほどで、多くのライターが代作をしている。

タレントやスポーツ選手、政治家などが本を出版する時、8割以上はゴーストライターが手がけていると思って間違いない。モノを書き慣れていない人が原稿用紙で300枚も書くことは大変な作業である。

書けたとしても、一般読者に読んで頂ける文章でなくてはいけないし、多大な時間も必要になる。そうした要件を満たせる人は少数派だ。

本を手にとる側も、最初から「ゴーストライターが書いたものだろう」との思いはある。特に有名タレントが著者の場合、時間もエネルギーも筆力もないことの方が多いので、暗黙の了解でゴーストライターに頼る。

出版する時には、ゴーストライターがタレント等に著作権を譲渡し、印税等についての契約も交わされている場合が多いので、出版サイドでのトラブルはあまりない。

十分に筆力がある人でもゴーストライターを使っていることがあり、何度か驚かされたことがある。それほど多いのだ。ただ私のこれまでの著作はすべて自分で書いている。

いくら出版業界の慣行だとしても、まったくゴーストライターの名前を記さない時は厳密には読者をだましていることになる。ネット上で裏話が明かされたからそれでいいというものではない。

さらに芸術性の高い作品はなおさらである。音楽や絵画、小説がゴーストライターの手によって仕上げられていたとしたら、これほどの欺瞞はない。今回のケースが好例である。

「ダイエット本をゴーストの人に書いてもらいました」という時でも、本来はゴーストライターを明記しないと読者を偽ることになる。

あとがきや巻末にゴーストライターの名前が「編集協力」や「構成」という形で記されることがある。本来はすべての本でそうすべきだろう。それでないと読者からの本当の信頼は勝ち取れない。(敬称略)

新聞の特質

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いまさら述べるまでもなく、大阪市長の橋下徹が市長を辞任して再度、市長選に打ってでるという。

上の写真は2月1日、「日本維新の会」第2回党大会で檀上にあがった時の1枚である。同党政治家の友人が党大会に出席するので「一緒にどうか」との誘いをうけた。

橋下は30分にわたって熱弁をふるった。大阪都構想が公明党の離反で実現しなくなったと述べ、慰安婦問題の持論にも時間を割いた。この点については昨年ブログで述べた通りだ(首相のチャンスを逃した橋下 )。

ただ、メディアが言うような「党代表の辞任」はその場で決まったわけではない。翌2日の朝日新聞朝刊は次のように書いている。

「しっかりともう1回民意を問いたいと提案すると、反対意見が出ていたものの拍手で了承された」

その場にいた500名以上の出席者の中で拍手をしたのは数人である。了承などとはほど遠い。採決するような場ではなかった。

しかも朝日新聞の記者は演説の冒頭で、橋下から「出て行ってほしい」と言われ、その場にいなかったはずである。

新聞(週刊誌も)というのは、このケースに代表されるように推測を交えて書くことが少なくない。「了承された」などと断言した時点で「虚偽」、はっきり言えばウソである。

記者が書いた原稿に、デスクなどが断言口調に変えた可能性もあるが、いずれにしても新聞社全体の信用にかかわる。

橋下はその場で辞任など断言していない。いつ辞めるかにも触れていない。党大会後に辞める意向を漏らしたが、その場で明確な辞任は表明していない。

なにしろその後、友人と落ち着いて話をした時に初めて「もしかすると橋下は辞めるかもしれない」と語りあったからだ。党大会後の懇親会でも「橋下辞任」などの話題はでていない。

新聞や雑誌の記述内容がいかに正確さに欠けるかの1例である。(敬称略)

先頭をいく候補

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1月31日正午、日本外国特派員協会の会見に現れた都知事選に出馬している舛添要一(66)。通訳を使わずに、質疑応答はすべて英語でこなした。

日本の政治家でこれができる人はたぶん5人もいないだろう。石川遼にもでいない芸当である。東京オリンピックを控える東京都の知事に望まれる資質の1つだ。もちろんアクセントのある英語だが、まったく問題ない。

28日に会見を行った細川護煕と比べると、醸しだすエネルギーは何倍もある。どの候補にもプラスとマイナスの両面があるが、舛添のプラス面を挙げるとするとこの前向きなエネルギーだ。

「もし都知事になって東京を変えることができれば、それは日本を変えることになる。そして世界も変えられる」

東京の政治・経済、社会環境が好転すれば、それが日本全体に好影響をおよぼすことは想像に難くない。だが、そのあとに「世界も」とためらいもなく言えるところに、この人の自信と楽観を見るのである。

たとえばある日の朝、築地に足を運んで「400か500もある店舗に足を運んで、私が移転問題を解決すると言ったんです」と断言する。慎重であるより大胆であれという格言をいつも携えているかのようだ。世論調査で他候補を抑えてリードしているのは、そうした点が目立つからかもしれない。

月並みな表現だが、大風呂敷を広げるだけ広げている。それも5メートル四方の風呂敷である。それが舛添要一の政治家としてのプラスでありマイナスなのかもしれない。(敬称略)