米国の栄華が終わりを告げようとしている: 死ぬまで働き続けたいと考える人が3分の1以上に
台風27号が本州の南海上を通過していた26日午前。東京は小雨こそ降っていたが、風はほとんどなかった。
こういう日は博物館や美術館に足をむけるといい。とにかく空いている。
上野にある東京国立博物館。現在、「京都」という特別展をやっている。ご覧のように人影はほとんどなかった。残念ながら、展示会場では写真を撮れないが、人の頭ではなく作品をゆっくりと鑑賞できる。
今回の展示の目玉は、400年前の京都の日常を描いた屏風図である。五条大橋周辺を歩く商人や農民、酔っぱらい、芸能者、南蛮人など、卓越な描写力で当時の京都を浮かびあがらせている。
実際の屏風には2700人が小さく描かれているが、今回は4メートル×4メートルという巨大スクリーンが細部を拡大している。おとぎ話が現出されたようで愉しい。もちろん本物の展示もある。
私は勤め人ではないのでウィークデーでもふらっと立ち寄れるが、週末に行かれる方は雨の日の午後が狙い目かもしれない。
「エッ、その歳でサーフィン?危なくない?」
妻はそう言って送りだした。
同業者で30年来の友人K氏は長年サーフィンを楽しんでいる。彼からの誘いをうけて、10月中旬、海に入ることにした。
湘南のビーチであれば、たぶんやっていなかったが、伊豆半島の下田市にある多々戸海岸という知る人ぞ知る絶好のサーフィンスポットに行くという。しかも泊まりがけで、宿には温泉もついている。
ビーチは緩やかな弧を描いていた。毎朝散歩したくなるほどの綺麗な砂浜だ。水も透明度が高い。
ただ真夏ではない。サーフィンそのものより、水が冷たくないか心配していた。だが彼が貸してくれたウェットツーツを着用して入ると1時間ずっと水の中に浸かっていても寒さは感じなかった。むしろ水から上がった時の方が寒い。
実は、サーフィンは初めてではない。10年ほど前にハワイで一度やったことがある。その時はポリネシア人のインストラクターの教えもあり、一度でボードの上に立った。
「俺が教えると2人に1人は立つ」
こう豪語した通り、私は呆気なく立って30メートルほどを走り抜けた。1度だけではなかった。
「意外に簡単じゃない」
浅はかな思い込みを抱いたまま自宅に戻った。
それから随分時間が経過した。人生2度目のサーフィンはそう甘くなかった。2日間でボードに立って海面を進んだと言えるのは1度だけ。まあ、なんとかボードの上に立ちましたというのが数度。
1人でボードに腰掛け、海面で波を待っている間にもバランスを崩して海中に落ちる。パドリングでは右に重心が流れるクセがあり、それでまたポチャン。
周囲にはサーフィン歴10年以上と思われるような老若男女が何人もいる。スッと波をつかみ、立ち上がってビーチの方へ離れていく。沖からの眺めは斬新だった。
私は肋骨の下(ボードが当たる)を痛め、両膝にあざを作り、鼻水を垂らして早々に陸に上がった。何ごとも奥が深いことを思い知るのである。
それにしてもあのハワイの楽なサーフィンはなんだったのだろうか。