ダ・ヴィンチの偉功

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上野にある東京都美術館でひらかれているレオナルド・ダ・ヴィンチ展に足を運んだ。

ダ・ヴィンチの油彩画を観に行ったのだが、本物は1点のみ。上の作品は写真撮影が許されたレプリカで、もう少したくさん観られるかと思っていったので期待外れだった。

現存するダ・ヴィンチの油彩画の点数がそもそも少ないため、東京にもってこられる作品数に限界があったのだろう。あとはダ・ヴィンチの弟子や彼の油彩技法に影響をうけた画家たちの作品がでていた。

私がここで述べるまでもないが、ダ・ヴィンチは手稿といわれるメモを生涯にわたって書き続け、1000点以上が残っている。人物の肖像から動物、武器の創案、物理理論や土木工学にいたるまで、イラストを交えて説明を加えている。

今回の特別展のほとんどはそうした手稿の展示だった。500年たっても朽ちずに残っている。インクはさすがに薄れているが、紙はそのままである。500年前のペーパーだ。

当時の紙は中性だったのと保管方法がよかったため、酸化がほとんど進んでいないのである。

もちろん過去500年の間に修復師の手が入っている。将来も同じ状態で作品が鑑賞されるように、保存・修復の業がなされることで作品は保たれるのである。その事実をかみしめられた点で、貴重な展覧会だった。

新しい英語(8)

日本語で表現できることはほとんど英語でも言い表すことができる。その逆もしかりである。

ただいつの世にも例外がある。それらしい表現はできるが、的確に言い表せない。たとえば「よろしくお願いいたします」という表現は英語にはない。

それに近い表現はあるが、「よろしくお願いいたします」という意味をうまく表現できる英文はない。微妙にニュアンスが違ってくる。

最近、知った英単語も日本語にはない。

Snough…

多くの方はこの単語をご存じないだろうと思う。アメリカ人でも知らない人が多い造語だ。

くしゃみ(sneeze)とせき(cough)が同時にでた時の単語である。どうして日本語にないのだろうか。創造してもいいかと思う。

セキャミ?

お任せします!

またしても「なんとかならないか」

30年ぶりのソウルは、唖然とさせられることの連続だった。

都市人口はすでに1000万人に達し、町の煩雑ぐあいは東京と違いがない。高いビルもあるが、ニューヨークや上海ほど高層ビルが乱立しているわけでもない。

30年前、町を上から見下ろすと茶色い瓦屋根が並んでいて、山々に囲まれた城下町のような風情があった。だが現在、その面影はない。建築物に統一感はなく、町に新しい建物が少しずつ付け足されていっている。

勝手気ままに好きなように建てるという文化は日本を含めたアジアの特質と呼んでいいかもしれない。和合の民と思われるアジア人だが、建築物については周囲の色調に合わせるとか環境を配慮してという意識がいまだに低い。

ただ食についてはそれぞれの国や地域が独自の色をもつ。それは他では真似できない強靱さで迫ってくる。焼き肉を含めた韓国料理は、日本ではもう食べない方がいいと思えるほどの力強さだ。

今回、ソウル在住の友人に案内されたこともあり、あらためて隣国でありながら日本の韓国料理が「こうも違うか」と思わされる店の数々、料理の数々で参ってしまった。

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これは以前のコラム(フォーリンフード )でも書いたとおりで、本国を越える食べ物は他国では食せないということだ。

どの国でも大多数の顧客を満足させることでレストランの経営が成り立っているので、「本場の品」でなくとも構わない。いや、日本では日本人の味覚に合ったメニューでないと経営は成り立たない。

それはよく承知しているつもりだが、「なんとかならないのか」という思いがまたしても募るのである。