油絵画家としての村上春樹

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村上春樹の最新刊が100万部を突破したという。村上ブームは日本だけでなく世界中に広がっている。

最近もブラジルでポルトガル語の『1Q84』が出版され、どういうわけか私がブラジル人の新聞記者に英語でインタビューされたりもした。彼の大ファンではないし、文芸評論家でもないと断ったうえで質問に答えた。

何百、何千という小説家が日本にいながら、村上の本だけがなぜ世界中で桁違いに売れるのか。理由の1つは、絵画でたとえるならば、彼は日本人としては珍しく油絵の画家として成功しているからだろうと思う。

作家大沢在昌が以前、日本人の作家は墨絵の描き手だと述べていた。無駄をそぎ落として、墨の線が醸す風情に作品を託す。油絵のようにブラシで厚く塗らない。

油絵の画家は日本にも大勢いるし、過去に名を馳せた人もいた。だが村上は現代のオイル・ペインティングの技法を圧倒的な形で高みへと到達させた。

村上のつむぐ文章は厚みのある油絵である。僭越ではあるが、私はそう評したい。(敬称略)

ボストン爆破テロから見えてくるもの

マサチューセッツ州ボストンで起きた連続爆破テロからすでに半月がたった。

いちおうアメリカの政治・経済から社会問題までを追っている人間として、同事件に何らかの見方を記さないといけない。ただ現地で取材をしていないし、当件で長い原稿をかいているわけでもない。

それでも半月たって見えてきたものがある。

それは実行犯ツァルナエフ兄弟の動機がイスラム過激派としての聖戦などではなく、単なる「若者の葛藤」の発露だったのではないかということだ。

病院にいる弟は、兄と2人でやった犯行であり、大きな組織(アルカイダ等)が背後にあるわけではないと話しているが、そこに嘘はないように考える。

というのも、アルカイダが背後にあったとすると、2001年9月11日のテロ事件から12年がたっていながら犯行そのものに稚拙さが目立つ。防犯カメラに姿をさらし、爆破後の行動計画も練り込まれていない。

もしイスラム過激派と密接な関係にあるとしたら、この程度のテロ行為では済まなかったはずだ。それは手作りの圧力釜爆弾という点でもみてとれる。

実は元CIA(米中央情報局)のテロ対策室にいたフィリップ・ムッドも同じことを述べている。

「単に人が集まるからという理由でボストンマラソンを選んだ安易さがある。それは大きな組織が背後にいないことをうかがわせる。9.11では19人が関与していた。しかも資金提供者がいて、訓練を施した教官もいた。思想的なバックグランドもしっかりしていた。そして少なくとも3年という歳月の準備期間のあとに犯行におよんでいる」

あのテロ事件と比較すると、兄弟の行動はお粗末である。チェチェンからアメリカにやってきて、社会に馴染めなかった現状への不満と怒り。兄弟がイスラム過激派に共有する思想を宿し、それを実践したようには思えない。

犯行動機を問われたときに、イスラム教徒として崇高な理念があったからだと思わせたいだけのようにも見えるのである。

周囲があ然とするようなことをする。そこから見える犯人像は、コロンバイン高校銃乱射事件の実行犯と似てくる。少なくともアルカイダが操っていないことだけは確かなようである。(敬称略)