見切り発車:2016年米大統領選

「いくらなんでも早すぎるでしょう」と思われるかもしれない。

アメリカ大統領選は昨年11月、オバマ再選で幕が降ろされたばかりだ。次は3年後の11月。まだオバマの次に「ホワイトハウスを住居にしたいです」と名乗りをあげた候補はいない。

しかし、アメリカの選挙には選挙期間が設けられていないので、いま出馬宣言をしてもかまわない。長期間選挙活動をすれば、それだけ名前や政策を有権者に覚えてもらえる。

ただメディアも一般市民も3年先の選挙に大きな関心は示さない。当たり前である。しかも選挙運動には多額の資金が必要になる。今後4年近くもカネを集め続け、キャンペーンを継続させることにはかなりのエネルギーが必要になる。

それでも2016年大統領選に出馬すると思われる顔ぶれを、日本で最も早く(たぶん)挙げてみたいと思う。もちろん私の予想である。

民主党:

・ジョー・バイデン副大統領(70):正式に出馬表明をしていないが、次期大統領選への出馬意欲は十分。高齢を指摘されるが、今のところ問題はない。

・アンドリュー・クオモ・ニューヨーク州知事(55):マリオ・クオモ元ニューヨーク州知事の長男。リベラル派の代表格。

・ラーム・エマニュエル・シカゴ市長(53):オバマ大統領の元首席補佐官。たぶん、どの候補よりも選挙資金の集金に長けている。たぶん出馬してくる。

・マーク・ワーナー上院議員(バージニア州)(58):ケネディ元大統領の再来と言われるほどのルックスと演説巧者。周囲からの期待は大きい。

備考:ヒラリー・クリントン前国務長官はたぶん不出馬。

共和党:

・ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事(60):父と兄が大統領を務めたので、共和党内から「次はジェブだ!」との声は10年前からあった。父ブッシュは兄よりも弟ジェブの方が政治家としては有能という主旨のことを述べている。やっと本人も出馬を否定しなくなってきた。現時点で共和党の本命。

・ランド・ポール上院議員(ケンタッキー州)(50):父ロン・ポールは昨年の大統領選で共和党から出馬していた。父もランド本人も本職は医師で、後に政治家に転身。財政均衡に傾注している。

・クリス・クリスティ・ニュージャージー州知事(50):2012年の大統領選の出馬も予想された人物で、16年にはレースに参加すると思われる。ダンプカーのような体型は現代の大統領像とかけ離れているが、共和党だけでなく民主党有権者から推す声もある。

・ジョン・ハンツマン前中国大使(52):12年の大統領選に出馬したが、予備選でロムニー候補に敗れた。80年代、レーガン政権時代にホワイトハウス補佐官を務め、政界トップの野望は捨てきれていない。

・マルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州)(41):キューバ系アメリカ人として、増加一途のヒスパニック系有権者の支持を得られる。まだ41歳と若いが、共和党が期待する次世代のホープ。

新しい英語(6)

新しい英語表現にであった時、意味がまったくわからない場合もあれば、類推できる時もある。

You have the wallet.

walletは「財布」なので、意味は「財布、あるね?」といったニュアンスかと思うが、微妙に違う。

「おカネもちだね」が正解。

近年、よく使われるようになってきた表現。moneyという単語を使わず、わざと財布という言葉を強調することで、「お金あるのね」という意味になる。

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シリア難民が売春婦に

日本のメディア、特にテレビは世界中で起きている悲惨な状況を伝えようとしない。この傾向はますます強まるばかりである。

視聴者が残虐なシーンを観たくないというのがその一因だが、それは世界の現実から眼をそむけていることに等しい。虐殺された遺体を映すことはないし、新聞や雑誌でもほとんどその事実や光景を報道しようとしない。

日本人が軟弱になったというわけではないと思う。一部の人間の意見や不満に耳を傾け過ぎている結果だろうと思う。

前置きが長くなった。あまり日本のメディアでは報道されないが、長引くシリア内戦によって、すでに100万人以上のシリア人が周辺諸国に脱出している。もちろん戦争難民としてである。

特にレバノン、ヨルダンには30万人を超えるシリア人が入った。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は国際社会がもっと協力してほしいという主旨のことを呼びかけたが、日本を含めた西側諸国は地理的に遠距離ということもあり「ひとごと」として見過ごしている。

ヨルダンなどは難民へのエネルギーや医療のサポートをはじめ、もう限界に近づきつつある。日本のような先進国であっても、仮に北朝鮮から30万人の難民が入国したら大騒ぎである。それを考えるとカネの支援だけでなく、人的な支援は重要だ。

しかも、難民の多くが金銭的に貧窮しており、10代の少女が売春をおこなうようになっている。もちろん、一部の女性たちだが、父親が娘や妻を売る姿も珍しくないという。

彼らはUNHCRが設営したテントの中で売春行為をおこなっている。しかも1回7ドル(約660円)。1日の拘束で70ドルだという。家族を喰わせるために娘を売る。娘は家族を助けるために体を売る。

これほどの窮境がいま日本にあるだろうか。少なくとも、こうした事実を大手メディアが大きく伝えるべきである。それがジャーナリズムである。

「そんなことは知りたくない」という声は封印してもいい。

つぶやき勝ち:ツイッター

玉石混交のネット情報の中で、ツイッターやフェイスブックで発さられるメッセージの影響力がいい意味でも悪い意味でも増幅している。深くものを考えずに、その場で一言ふたことつぶやいたことが、他者の心を傷つけることが増えている。

つい先日も、イギリス人の15歳の少女がツイッターでつぶやいた一言で、会ったこともない人から「死ね!」と返礼される事件があった。

彼女は別に人の悪口を書いたわけではない。カナダ出身の人気歌手ジャスティン・ビーバーの新しいCDについてコメントを書いただけである。しかも「新しいアルバムはいい感じ!」と褒めたにもかかわらず、ビーバーのファンから攻撃を受けた。

背景がある。1つは、彼女がビーバーの「熱烈なファンではない」ことを認めた上でコメントした点。もう1つはその「新しいアルバムはいい感じ!」というツイートが、なんとビーバー本人によってリツイートされたことだった。

ファンにとっては熱烈なファンでもない人のコメントがビーバーにリツイートされたことが許せなかったのだろう。中には12歳の見ず知らずの少女が「死んでほしい」とまで書いた。

たぶん少女であっても、批判を書いた本人は2日くらい経てば「なんてことを書いてしまったのだろう」との思いを抱くかもしれない。嫉妬心は継続することもあるが、まともな人であればその行動が常道を逸していることはわかる。

SNSがなかった時は、メールか手紙で思いを伝えた。思いを伝えるまでに少しばかり考える時間がある。さらに、まず書く相手を選ばなくてはいけない。ツイッターは単なるつぶやきだから、不特定多数の人間に自身の憤懣を吐けばいいだけだ。

つまり、相手がひどく傷つくことを想定していないのだ。想定していたとしても曖昧な想定であることがほとんどで、「つぶやき勝ち」としての逃げがそこにある。

私も過去何年か、ネット上でも原稿を書いている。それに対し、ツイッターやフェイスブックでかなり辛辣な批判や反論を浴びせられることもあるが、職業上もう慣れているのでなんともない。

ただ私に直接メールや手紙で文句を述べてくるガッツのある人は皆無に等しい。いないことはないが、これまで何かモノを言ってきた人はいずれも社会的にかなり認知された人がほとんどだった。

つまり、実名を公表してまで直接私にいうのではなく、「俺はこう思ってんだけど、、、」と自身の意見を世間に発露することで存在意義を確かめる作業をする場合が多い。

もちろん、SNSによる肯定的な言論も多いし、そこから利益が生まれ、プラスに働くことがあることはよく承知している。だが、正直に述べると、私はもう両方とも飽きてしまった。(敬称略)

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無知であることを知る

長年モノを書いて生計をたててきた。最近あたらめて思うのは「無知の知」ということである。

ソクラテスの名前をだすまでもなく、「人は自身が何も知らないということを知ることで真理に近づける」との考え方がある。

殺人事件から大統領選挙、ビジネスの諸事情や人物のインタビュー記事まで、自分ではかなり守備範囲が広いと思っている。専門分野以外にもかなり踏み込んでいる。

それだけに、一つの分野に深く入れば入るほど、そして多くの分野に首を突っ込めば突っ込むほど「自分は何も知らない」ということを痛感させられるのである。ルネッサンス時代であればまだしも、どの領域でも世界中に専門家がいる。

その道に入って50年という人も少なくない。そんな人たちを前にすると、どうあがいてもその分野では適わないという結論にいたる。その時は静かに耳を傾けるしかない。

知らないことは恥ではなく、むしろそこから何を考え、どう社会が展開されていくかに尽力した方がはるかに賢明だとわかっていても、あまりに基本的なことも知らないと、「エッ!」と驚かれる。

たとえば美術分野の専門家にとって、フランス人のシャルダンは知っていて当たり前の画家である。いや、知らなくてはいけない人らしい。だが私は知らなかった。

だから「エッ、知らないの。それはちょっとまずいでしょう」と言われた。シャルダンと言えば、私の中では芳香剤である。

ジャン・シメオン・シャルダン。18世紀のフランスに生きた画家で、のちの印象派に大きな影響を与えた。シャルダン展が東京千代田区の三菱一号館美術館で今年1月まで開かれていた。

これほど精緻で穏やかな静物画はないかもしれない。柔らかなタッチの中に緻密さが秘められている。素人の私でさえも、「こんなにうまい静物画の書き手がいるのだろうか」と思ったほどだった。

少しだけ知ることと同時に、自分がまた知らないことを知るのである。