人は見た目が9割

どこかで聴いたことのあるフレーズがアメリカ大統領選でも十分に通用している。

10月3日に行われたオバマ対ロムニーの第1回目の討論会後、ロムニーの支持率はほとんどの州で伸びた。7000万人以上が視聴したと言われるテレビ討論会で、ロムニーは優位な議論を進め、オバマの信用を失墜させてしまった。

1年半近く選挙活動をしているロムニーの主張を今になって初めて聴いたというアメリカ有権者はほとんどいないだろう。さらにこの時期に来て、いまだにオバマかロムニーのどちらに投票するかを決められずにいる人も5%に過ぎない。

それでも支持率のポイントは動くのである。

それはテレビ画面に移ったオバマの言動があまりにふがいなく、「あと4年間、この男に任せて大丈夫なのだろうか」という疑問を視聴者に与えてしまったからに他ならない。

この段階になって政策の違いを確認する人もいるだろうが、ポイントが動いた原因が他にあった。テレビにどう映ったか、テレビカメラの前でどう主張を展開したかという人間の表象によって判断されたのだ。

第2回目、3回目の討論会でオバマは巻き返したが、1回目の失墜の角度は大きく、それまでリードしていたポイントを失った。

1時間半の討論でオバマという人間が変わったわけではない。見た目と話し方で判断されたわけだ。

大多数の有権者は1年前からどちらに一票を投じるか決めているが、全米レベルでの支持率ではほぼ互角になった。

しかし、州ごとの支持率ではいまだに「オバマ有利」で、私は再選されると読んでいる。(敬称略)

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by the White House

新しい英語(3)

また新しい英語をご紹介したい。

これは私も知らないという意味である。

grit(グリット)という単語がある。

数年前、『トゥルー・グリット(True Grit)』というジェフ・ブリッジス主演のハリウッド映画があった。ジョン・ウェインが主演した『勇気ある追跡』のリメイク版だ。

この映画タイトルのグリットは勇気、つまり「真の勇気」という意味である。他には「あら砂」という意味もある。

だが、先日出会ったグリットは形容詞で使われていた。

He is so grit!

「すごく勇気のある奴」という意味ではない。ここでは「スゲー嫌な奴」という意味だ。

言語は流転である。

ルイジアナ州で服部剛丈君が亡くなって20年

すっかり忘れていた。

1992年10月18日。ジャーナリストとして独立して2年目のことである。

ワシントンの自宅で朝食を食べ終えたところで電話が鳴った。東京の出版社からだった。知り合いの編集者は少し急いた口調で用件を口にした。

ルイジアナ州バトンルージュという町で日本人の留学性(高校2年生)が撃たれて死亡したという。飛んで取材してもらえないかという依頼だった。殺人事件の取材はワシントンでも何回か経験していたが、日本人が被害者になった事件取材は初めてである。

電話を受けてから2時間後には飛行機に乗っていた。服部君には申し分けないが、アドレナリンが出ているのがわかった。

地元の通信社や新聞社の報道が先行していたので大まかな情報は入手できたが、犯人のピアーズは逃げていた。

すぐに現場に向かう。隣人の男性に話を訊いた。その人は服部君が撃たれた直後、止血と心臓マッサージを試みていた。隣人だけあり、犯人の私生活なども聞くことができた。

血痕はピアーズ邸の駐車場ドアから50センチほど離れたコンクリートの上にあった。至近距離で撃たれたことは歴然としていた。

犯人は市内にある親戚の家にかくまわれていた。地元警察は泳がせておいた可能性がある。私は手を尽くして居場所を探し出し、インタビューを依頼した。だが親戚が言った。

「今はダメだ。静かにさせてやってくれ」

犯人は正当防衛を主張し、刑事訴訟では無罪判決が出されている。民事訴訟では服部君側が勝訴した。

その後、全米に銃規制の動きが強まり、94年にブレイディ法という銃規制の法律が施行されたが、10年間の時限立法だったため04年に失効している。

アメリカには約3億丁の銃があると言われる。銃規制が強化されたこともあり、犯罪数は少しずつ減少しているかに見えたが、規制強化と犯罪数に強い相関関係がないことがわかっている。

というのも、ブレイディ法が失効したあともアメリカの凶悪犯罪数は減っているからだ。アメリカの凶悪犯罪件数がピークに達したのは1991年。以後、ブレイディ法にかかわらず。減り続けている。凶悪犯罪数は91年に190万件強、2010年には120万件強まで減った。過去5年でも減少傾向は続いている。

銃規制よりも、実は失業率や景気の動向、社会格差といった経済要因が犯罪の遠因になっていることが多い。クリントン政権時代、持続的な経済成長を遂げたこともある。

ただ今でも世界一犯罪件数は多く、想像を絶するような事件が多発している。

できれば銃社会からの脱皮が理想であるが、これは今後50年たっても実現できない可能性が高い。