滋賀県いじめ事件:的はずれのオンパレード

滋賀県大津市のいじめ事件は直接取材していないが、県警、教育委員会、メディアすべてに「おまえら何をやっているんだ」的な思いが去来する。

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すべての大人は中学生の時の心象を思い出さなくてはいけない。いじめがない学校などまずないと思わないといけないし、先生がいるところでいじめをする間抜けな生徒もいない。ましてや校長や教頭が生徒の行動をいちいち把握しているわけがないので、県警が教育委員会や校長に話を訊きにいったところでいじめの実態の10%も把握できないことくらいわからなくてはいけない。

そんなことは自分たちが中学生だった頃を思い起こせばすぐに判別がつく。だが、県警だけでなくメディアも相変わらず校長や教育委員会に話を訊きに行き、それをニュースにする。責任の所在という点で、学校側のトップと教育委員会に光を当てることはわかるのだが、問題の本質はそこにはない。

滋賀県警につめている地方部の若い記者は、日頃世話になっている県警の悪口は書けず、なさけない報道のオンパレードである。

こうした大きな事件に発展したいま、東京本社の社会部長か編集委員がでていって、県警や教育委員会に活をいれると同時に、おきまりのひな形報道ではなく、いじめの本質を暴く記事を書かなくてはいけない。

県警くらいひっくり返してもいい。以後、事件のニュースが取れなくなったら、無視されている実態を記事にすればいいし、大事なものは通信社の配信を使えばいいだけだ。

今回のいじめの実態を知っているのは亡くなった本人と加害者の生徒たち、そして周囲にいたクラスメートしかいない。

もちろんクラスメートは「沈黙の加害者」だから多くは言わない。いじめっ子からの復讐が怖いので、目立った行動はしないしできない。本当に悪質ないじめ行為はたぶん、クラスメートも知らない放課後に行われていたはずだ。

ただ、「あの生徒が彼をいじめていた」という事実は知っているから、加害者の少年たちが14歳以上であれば県警は少年法のもとで、いじめっ子たちを立件すればいい。

学校内に警察が入ることをひるんではいけない。1人の人間が亡くなっている。友人たちが素直に知っていることを話し、いじめっ子たちも白状できる環境と業を警察は会得しなくてはいけない。

この問題の収束地点はそこにしかない。しらけるだけのメディア報道と教育委員会の無責任な発言はもういらない。