新聞が終わる日

職業がら今でも新聞は毎日読むが、すでに紙面の多くの記事が「いつの話?」と思えるほど昔のことのように感じられる。インターネットで前日にニュースを読んでいるからで、1つのテーマでいくつかの記事を読んだ翌日などは、もう新聞の役目は終わったと思えるほどである。

もちろんページをめくるうちに「こんなこともあったのか」という記事にも出会うが、それはインターネットでも同じだ。そうなると新聞を紙で読むという必要性はますます薄れてくる。

2006年にアメリカの首都ワシントンにある国防大学が発表した「新しいメディアの最終報告」には、2040年で「新聞紙の最後のリサイクルは終わる」としゃれた表現で新聞の終焉が告げられていた。だが40年までもたない。

先月、あと2年でアメリカ国内に残る新聞は3紙だけ(ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナル)になるという 予想を耳にした。それは紙の新聞を発行しなくなるということで、ネットだけに絞ったクリスチャン・サイエンス・モニター紙のような形態へと移行していくだろう。もちろん倒産する新聞社も出てくるので、淘汰されていく。

これまで1次情報の入手は大手メディアの特権であり、得意技のはずだった。だがいま記者が書く内容の多くがすでにナマ情報としてネット上に公開されていたりする。

情報を整理して読者に提示するという点で、書く人間はこれからも必要だが、別に紙を発行しなくてもいい。紙をめくることにノスタルジーを感じる世代は相変わらず書籍や新聞に愛着を抱くが、10年もたたないうちに80%以上のニュースはネットオンリーになるだろう。

幼少時代の友人Mと26日、痛飲しながら、変わっていく社会に対応するというより、こちらが社会を変えていく側になろうなどと語り合う。

これからは「変わる力」が必須だ。