ある誕生日に考える

友人のフランス人が先日、40歳を迎えた。

フランス家庭料理の先生もしていた女性だ(クッキング・スクール)。現在はパリに戻っているが、誕生日にバースデーメールを送ると「40歳は本当に楽しみにしていたので嬉しい」と返ってきた。

この言葉は本心である。というのも以前、何度も早く40代になりたいという言葉を耳にしていたからだ。私の周囲には歳を重ねるごとに、「ああ、また歳とっちゃう」と嘆く女性はいても、「嬉しい」という言葉を吐く人はほとんどいない。

彼女も「歳をとれば顔の皺はふえるし、体力も落ちる」と口にするが、肯定的要素の方が多いという。まず、40代でこそ着られる服に袖を通せるようになる。さらに人間としての厚みが増して、人との会話(特に男性と)がさらに充実する。

彼女は40代こそ人間としての魅力が増幅し、成熟度がアップすると語っていた。それはフランス人らしい価値観であるが、その考え方の背景に思いを馳せると男性の役割が大きいと言わざるをえない。 

                                        

    

                       

つまり、若い方がいいと思いがちな日本人男性の言動を連日見聞きしていると、40代は「おばさんの領域」に確実に歩を進めること以外になくなってしまう。若ければ若いほどいいという見方の弊害である。

そうなると、40代でも「せいぜい頑張ってみる」というセリフを吐くのがやっとになってしまう。男性の側でも同じ論理が使える。

もちろん例外と呼べる人たちはどこにでもいるが、極めて少ない。日本でAKB48が人気を博す理由の1つがここにある。