イーストマン・コダックは破綻するのか

特定分野で業界をリードしてきた企業が、時代の流れに逆らえなくなった時、CEOはいったいどう対処したらいいのか。

どの経営学の教科書にも明確な答えは載っていない。業界によって状況は違い、もちろん企業によって対処法が異なる。たとえば写真フィルムのメーカーは、デジタルカメラ全盛の時代を迎えて、どういった経営術を駆使しているのか。

写真フィルム事業は世界市場を眺めると、アメリカのイーストマン・コダック社が絶えずシェアでリードしてきた。富士フィルムは国内では約7割をしめるが、世界では約35%にとどまる。

          

     

                               

けれども、業界の問題はシェア争いではない。写真フィルムそのものが「要らない」時代になり、減収減益は深刻である。今年10月、イーストマン・コダックは破産法専門の弁護士や企業再建のアドバイザーと企業の将来を見据えた議論を行っている。事態はそれほど深刻なのである、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

反格差デモの本質

前回のブログの冒頭で、「もしかすると資本主義は機能しないかもしれない」と書いた。ウォールストリートで起きているデモの根源的な原因はそこにたどり着くかもしれない。

15日午前、日テレのナマ番組に出演機会があったので同じことを述べたが、テレビでは時間が少な過ぎて説明する時間がなかった。本当にテレビは「瞬間芸」で勝負する媒体だと再認識する。デモについての私見は、某出版社のH氏からも要望があったので、このブログで少し述べることにする。

社会格差は資本主義社会である以上、いつの時代にもあった。アメリカでは初代大統領のジョージ・ワシントンがすでに一般労働者の1000倍の給料をとっていたことはアメリカではよく知られている。あとは程度の問題だ。

1930年代くらいまで、アメリカの大企業トップと一般社員の給与の差は30倍くらいに落ち着いていた。いまのような300倍を超える格差が問題視されはじめるのは90年代以降で、特にストック・オプションが企業役員の総合報酬制度(コンペンセーション)の中に組み込まれるようになって以降のことである。

社会格差というのは社内格差から始まっていて、それはリーマンショック後もほとんど改められていない。トップ1%がアメリカの富の40%を牛耳り、トップ4%では8割近くになるという不条理は、デモがあったところで変わらない。

これは究極的なエゴイズムの追求であり、他人も国家もどうなろうが構わないという意識が具現化された資本主義社会の末期的な兆候かもしれない。

さらに、数回前のブログで記したように、「コーポレートランド」の暗躍によって、大企業が小国家よりも強大な経済力を持つようになってきた現実を突きつけられている。いずれは市民の大きな反乱につながらないとも限らない。

奇しくも、19世紀後半、マルクス・エンゲルスはこうした資本主義の邪悪性を看破し、その上の段階として共産主義を唱えていたが、共産主義の幻想もまた実証されていて、社会がどういった方向に進むのか、いまはわからないとしか答えられない。

                                   

   
 

新国家主義への道筋

「もしかすると資本主義は機能しないかもしれない」

この仮説を耳にしたのは今春、ハーバード大学経営大学院の教授と会った時のことである。

仮説の段階に過ぎないが、世界の経済・金融情勢を眺めると仮説を十分に実証できるほどの危機感を携えている。話の後半、「資本主義危機論」は教授一人の考えではなく、世界中の政治家や企業家、学者の多くが共有する憂慮であることを知った。

すでに資本主義は機能不全を起こして、世界各地でその症状が出ていると理解して間違いない。しかし学究的な論考が積み重ねられるのはこれからである。
 
そんな時、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌が9月号で「世界資本主義の危機:どう対処するのか」という特集記事を組んだ。ハーバード・ビジネス・スクールにいる3教授による共著で、内容はまさに私が小さな衝撃を受けた資本主義危機論だった、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

ペイリン参戦せず

前アラスカ州知事のサラ・ペイリンが2012年大統領選に出馬しないことを決めた。支援者への書簡の中で、次のように述べている。

「私が何に仕えているかと言えば、神、家族、国家、これが順番です」

この一文を読んだときに、ペイリンは家族との合意が取りつけられなかったのだと察した(ペイリンの決断 )。共和党内から「出馬するな」という声が強かったことや、共和党の代表候補になれる可能性が低いといった要因も当然あっただろうが、神が最初で2番目に家族、そして国家が3番目という序列を聞いた時、ウソではないと感じた。

神を最初にもってくることはアメリカでは極めて自然だし、家族の同意がなければ踏み出さないという行動規範も、特に共和党の人間としては当たり前のことだろう。これは四半世紀アメリカで暮らして得た思いである。

そのため、「他に理由があるに違いない」との邪推は当たらないかと思う。もちろん、本人と周囲の人間にしか理解できない事情もあるだろう。だが、神という概念と家族はアメリカを考える上では外せない。むしろ基礎と言っていいかもしれない。

すべての事象に裏があるとする斜に構えた見方もあるが、アメリカの本質はキリスト教の理念と切ってもきれないことを改めて思うのである。

出馬が噂されていたニュージャージー州知事のクリス・クリスティーも出馬しないことを決めた。これで共和党レースは前マサチューセッツ州知事ミット・ロムニーとテキサス州知事リック・ペリーとの2強に、元ピザチェーンCEOのハーマン・ケイン、元下院議長ニュート・ギングリッチ、下院議員ミッシェル・バックマン他が続く形となった。(敬称略)

ツイッターの威力

ツイッターやフェイスブックといったSNSの力をこれまでさまざまなメディアで紹介してきた。

私自身、フェイスブックは2009年8月から、ツイッターは10年4月からスタートしたが、最近はたまにしか更新しなくなってしまった。そればかりに気をとられることに恐れおののいたからだ。SNSの威力をさかんに吹聴していたにもかかわらず、である。

けれども、自分の書いたコラムの反応を見て、あらためてSNSの強さを思い知らされている。

コーポレートランドの衝撃   もはや国家は企業を支配できない

先月末の原稿である。それに対してツイッターには10月4日現在、約220本のコメントが寄せられている。フェイスブックへの転送は約330本だ。

http://twitter.com/#!/search/httpJBpress

賛否両論が渦をまく。私の手元から離れたところで多くの方が感想を述べている。これこそが21世紀型のコミュニケーションである。