反格差デモの本質

前回のブログの冒頭で、「もしかすると資本主義は機能しないかもしれない」と書いた。ウォールストリートで起きているデモの根源的な原因はそこにたどり着くかもしれない。

15日午前、日テレのナマ番組に出演機会があったので同じことを述べたが、テレビでは時間が少な過ぎて説明する時間がなかった。本当にテレビは「瞬間芸」で勝負する媒体だと再認識する。デモについての私見は、某出版社のH氏からも要望があったので、このブログで少し述べることにする。

社会格差は資本主義社会である以上、いつの時代にもあった。アメリカでは初代大統領のジョージ・ワシントンがすでに一般労働者の1000倍の給料をとっていたことはアメリカではよく知られている。あとは程度の問題だ。

1930年代くらいまで、アメリカの大企業トップと一般社員の給与の差は30倍くらいに落ち着いていた。いまのような300倍を超える格差が問題視されはじめるのは90年代以降で、特にストック・オプションが企業役員の総合報酬制度(コンペンセーション)の中に組み込まれるようになって以降のことである。

社会格差というのは社内格差から始まっていて、それはリーマンショック後もほとんど改められていない。トップ1%がアメリカの富の40%を牛耳り、トップ4%では8割近くになるという不条理は、デモがあったところで変わらない。

これは究極的なエゴイズムの追求であり、他人も国家もどうなろうが構わないという意識が具現化された資本主義社会の末期的な兆候かもしれない。

さらに、数回前のブログで記したように、「コーポレートランド」の暗躍によって、大企業が小国家よりも強大な経済力を持つようになってきた現実を突きつけられている。いずれは市民の大きな反乱につながらないとも限らない。

奇しくも、19世紀後半、マルクス・エンゲルスはこうした資本主義の邪悪性を看破し、その上の段階として共産主義を唱えていたが、共産主義の幻想もまた実証されていて、社会がどういった方向に進むのか、いまはわからないとしか答えられない。