B級グルメの敵

多くの方は政治や経済の話よりも食べ物に興味がある。テレビを観れば連日のようにグルメ番組がオンエアされている。

観るだけではもちろんつまらない。いろいろな店に出入りする。広々とした個室に入ると三味線が聞こえてくるような店にも行けば、ビール箱の上に板を乗せただけの店もある。「守備範囲が広い」という表現があるが、誇張を許してもらえるならば、キャッチャーから外野席の上までといったところだ。

先日、幼少の頃からの友人Mと久しぶりに会い、焼き鳥屋にはいった。テーブルはビール箱ではなく、普通のカウンターだった。鶏づくしの店で、先付けから焼き物、揚げ物、すべて鶏肉である。B級グルメとしては82点という印象で、けっして悪くない。 

「毎朝、鶏をさばくところからスタートします」

こうした張り紙もある。塩梅もいい。心地よいベッドの上に横になるような快感ではないが、座り心地のいい椅子にきちんと腰掛けたときに味わえる満足感に似たものがあった。

ビールからレモンハイに移ってしばらくした時、横に座った客が紫煙をくゆらせ始めた。

                               

スコーンといきなり椅子の脚を払われた感じがした。床に投げ出され、それまで味わったトリがすべて廃棄処分にされてしまったかのようである。

ただ友人も私も何も言わなかった。店を出たあともタバコについて話をすることはなかった。数日たってから、タバコは「B級グルメの敵」というメールが彼から届いた。「その通り」と返送。

いわゆる高級店では禁煙が多くなってきているが、B級グルメにその波が訪れるまでにはまだしばらくかかりそうである。紫煙から逃れてずっと居心地のいい椅子に座っていたいが、いまの日本の飲食業の状況が許さない。

また一つため息である。

日本人になるドナルド・キーン

ドナルド・キーンが先週、外国特派員協会の会見に姿をみせた。

89歳。ニューヨーク生まれの日本文学研究者は小さな人だった。年老いて背が縮んだことを考慮しても、アメリカ人にしてはかなり小柄である。だが、口調は60歳といってもいいくらい快活で、明瞭である。

記者の質問にもすべて丁寧に答える。しかも実直に。心中にまったく蟠(わだかま)りを抱かないかのような純粋さがある。それは研究者としての生活が長かったからという理由だけではないだろう。

2時間近くもさまざまな話をすれば、本人の輪郭はみえてくる。キーン自身の篤実な人間性がそこに表出する。幾多の文学賞を受賞していることは結果でしかなく、彼の本質は文学にたいする「熱誠」だと感じた。

そんな彼が日本国籍を取得して日本人になると決めたのは今春である。

「ニューヨークでの生活よりも日本で暮らす方が魅力があると思ったから」

会見ではそう簡単に説明したが、たぶん一冊の本を書けるくらいの熟考があったはずである。コロンビア大学での教鞭を今夏で終えたことも理由の一つだ。

私は人生のほぼ半分をアメリカで暮らし、多くのアメリカ人と接したが、彼ほど日本に対して肯定的で前向きな考え方を持ち続けている人を他に知らない。アメリカにあっては例外中の例外だろう。

いやこれからは日本人だ。しかも自宅のご近所さんである。(敬称略)