サッカーと市民革命

李忠成の決勝ゴールで、日本はアジアカップで優勝し、歓喜に包まれた。

      

試合前日(土)、中学時代の友人8人と蕎麦打ち会にでて帰宅し、試合を観はじめたが延長戦が終わるまで眼をあけていられなかった。翌日のニュースで勝利を知り、渋谷のスクランブル交差点で気勢を上げる若者たちをテレビ画面で観た。

彼らに対して何の違和感も反発もない。興奮してアドレナリンが増し、精神の高揚を覚えることは自然である。

「彼らのこうした動きが政治の世界で働けばなあ」

画面のこちら側で1人つぶやいていた。

日本の政治に対する批判は多い。しかし菅の支持率が30%前後を低迷していても、若者が反政府の運動を組織的に始めたという話は聞かない。

少なくとも平穏な生活環境が続いているからだ。軍事クーデターもないし、扇動家が登場して革命を起こすこともない。

「日本人は生活に満足しているからだ」

アメリカのある教授が私に言った。

生活レベルは世界のトップクラスとはほど遠い。だが、市民は大規模なデモを組織するほど大きな不満を抱えていない。「まあ、いい線いってるんじゃないの」「これくらいでしょう」的な思いが強いからだ。

サッカーで勝利した時と同じほどの勢いを永田町や霞が関にぶつけるという流れにはならない。多少なりとも「現状への満足」がある限り、エジプトの若者がムバラクに対して反旗を翻すような行動はとらない。

逆に、日本の政治がどこまで堕ち、腐敗すれば市民は立ち上がるのだろうか。日本人にも市民革命を起こせるのだろうか。もしそうなったら、私は喜んで路上に飛び出すと思う。(敬称略)