リーダーになる準備期間

菅が首相になって7ヵ月がたとうとしている。

6月初旬に首相の座についた直後、鳩山のふがいなさの反動と期待で支持率は60%を超えた。それが日を追うごとに下がり、今では20%台である。

アメリカのオバマも2009年1月の就任直後がもっとも支持率が高く、ギャラップ調査では68%だった。その数字もジリジリと下がり、今では40%台である。だが過去1年、大きな変化はない。

40%台後半の支持率というのは、アメリカ社会が08年のオバマ旋風から、リベラルと保守でほぼ二分されている本来の政治的均衡に戻ったことを示すもので、別段驚くことではない。それよりも菅の20%台の方が危機的な状況だ。

ここで指摘したい点はリーダーになる準備期間の違いである。

菅は鳩山が突然辞任した後、1週間もたたないうちに首相になっている。勝手に「ヤーメタ」と首相の座を降りた鳩山の無責任さもさることながら、すぐに1億2000万人のトップの座につかざるを得ない菅に、国民は期待した。だが首相になるための用意周到な助走時間はなかった。

「いずれ俺が首相になる日が来るだろう」くらいのことは脳裏にあっただろう。けれども、日本という国家をどう建て直すかのブループリントを携えてはいなかった。もし、具体的な日本再建計画を持っていたら、過去半年の体たらくはない。菅政権はまったく別モノとして機能したはずだ。

新聞やテレビは閣僚人事を大きく取り上げるが、問題は閣僚人事などではない。首相が自身の描くビジョンを国民に示し、それを実行できるかにある。菅は頭の悪い人ではないが、準備期間があまりになさすぎた。

これは今後の首相にもいえることで、この点で日本は政治システムを変える必要がある。政治的空白を出さないようにしながら、国のトップを決めるプロセスにはもっと時間をかけなくてはいけない。なによりも、首相候補が少なくとも数十人のブレインを持ちながら、最低でも数カ月をかけて今後の日本という国家のあり方、改革の指針を策定しなくてはいけない。

この点において、アメリカの大統領制はよくできていると思う。むしろ選挙期間が長すぎ、カネがかかり過ぎる欠陥が顕著だ。それでも来年早々に、サラ・ペイリンやミット・ロムニーといった共和党候補が12年の大統領選挙にむけて名乗りをあげてくるはずだ。

    

                            

彼らにはリーダーになる前に2年という準備期間がある。

日本の首相候補には最低でも半年ほどの足固めの時間を与えないと、今後も同じ体たらくが連綿と繰り返されることになる。(敬称略)

グレーホワイトの世界

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何十年かぶりに訪れた諏訪湖は、思っていた以上に小さく見えた。

「日本中どこにいっても」という言葉が誇張でないほど温泉が湧きだしているので、湖畔にも湯水が流れる。

けれども地方の町は、温泉の熱とは対照的に冷たく、暗く沈んでいる。端麗な雪景色が世界を包んでいるが、寂しさが漂っていた。

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ネット時代に逆らうビジネスモデル

いつの時代にも流行に逆らう者がいる。

テキサス州ダラスに本社を置くオーダーメイドのシャツメーカー「J.ヒルバーン」社は今の時代にあっても、オンライン販売どころか店舗展開すらしていない。しかし不況下の今、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長している。

歴史ある老舗がネットビジネスに逆らっているわけではない。創業は2008年。起業者はウォールストリートの金融業界にいたビジネスマン二人だ。ネットに疎いどころか、ネット時代だからこそ人との直接的な触れ合いを大切にするビジネスモデル
を確立した。

顧客だけの特注品を仕立て、それを大量販売へと結びつけようとしている。創業者の一人ヒル・デイビス氏は、創業前、2万円以上する他社のオーダーメイド・シャツを愛用していた。それを知っていた妻が、男性用のオーダーメイド製品を手頃な価
格で提供するビジネスに着目した、、、、、、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

北方領土への愛憎

有楽町にある外国特派員協会のワークルームで仕事をしていると、ドイツ人記者が昼食の誘いにきた。

一人で食事をするのが嫌いな男なので、知り合いがいれば誰かれかまわず声をかける。会話は気づいたら領土問題になり、最後まで領土問題から外れることはなかった。

尖閣諸島について、日本政府は「領有権問題はない」としているが、北方領土は依然としてロシアに実効支配されている。日本政府は「我が国固有の領土」との判断だが、現実的な返還はきわめて厳しい。

時間がたてばたつほど困難の度合いは増す。 沖縄のように、アメリカによって占領されていた時も日本人が住んでいれば話は別である。現在北方4島に住んでいるのはロシア人である。しかも戦後65年もたっている。

    

                                 

「俺の祖父の時代から住んでいる島だ。昔は日本人が住んでいたかもしれない。でもいまはロシアの領土だ」

島民はそう考えている。当たり前である。半世紀以上住み続けた土地を簡単に譲り渡すはずもない。天然資源と豊かな漁場もある。

仮にロシアの占領があと100年続いたら、ここはもうロシアの領土という認識である。日本固有の島などという話はおとぎ話でしかなくなる。

世界の領土は南極などを除いて20世紀中にほとんど特定国家に帰属した。その奪い合いは今でもあるが、その手法は極めて野蛮だった。戦争による奪取が日常なのである。戦勝国が策定した条約内容によって、土地は切り刻まれ、好きなように併合された。ドイツ人が言う。

「ヨーロッパではポーランドが可哀そうだった。ドイツとロシアに挟まれ、勝手に国境を変えられた。日本人にはわからない感情だろうと思う」

フランスとドイツの国境にアルザス・ロレーヌという土地がある。現在はフランス領で、ストラスブールが中心都市だ。世界史の教科書に出てくるので、覚えておられる方も多いだろう。この地方は元々ドイツ文化圏で、ドイツ語の方言の一つアルザス語が今でも話されている。

1648年、三十年戦争の終結(ウェストファリア条約)で、神聖ローマ帝国からフランスに割譲される。

その後、どうなったか簡単に記したい。1870年の普仏戦争でプロイセンがフランスを破って今度はドイツ領に戻される。1919年、第一世界大戦でドイツが敗れると今度はフランス領に逆戻り。1940年にナチス・ドイツが再度奪い返したが、ドイツが第二次世界大戦で敗れたのを機にフランス領となるのである。

「もともとドイツ領なんでしょう。返還しろという機運は生まれないわけ?」。私が訊くと、ドイツ人は「もうないね」。

国際法上は国家間の土地の売買は可能だが、21世紀の現在、安全保障問題などからほとんど無理と言っていい。アルゼンチン沖に浮かぶフォークランド諸島も、つい20数年前にイギリスが勝ったこと実効支配が続いている。

北方領土は地道な交渉によって返還させるのが正道。アメとムチを使った返還交渉は不可能ではない。武力で奪い返すのも一手。この場合、国際社会が黙っていないが、「ここは日本固有の領土だから」と突っ張り、血を流しても構わないと思えるのならアリかもしれない。

だが周囲を見渡すと、それだけの気概をもった人たちはいない。現実的な北方領土返還は極めて低いのである。