新聞の風景

「ちっちゃくなっちゃった」

マギー審司のギャクをもじったのではない。新聞のサイズである。

シカゴの町で地元紙シカゴ・トリビューンを読もうと思い、ドラッグストアに立ち寄ると、小さな新聞が積まれていた。縦の長さが日本の新聞のおよそ半分、横は3分の2ほどになっている。いわゆるタブロイド型である。かつては大きなサイズだったので、読みやすくするための苦策なのだろう。

     

店員にいつからタブロイドになったのかと訊くと、「よく覚えていないが、それほど前ではない」とあいまいな返答。シカゴトリビューンの広報に電話を入れると、すぐに教えてくれた。

2009年1月から駅の売店やドラッグストアなど「外売り」に限ってタブロイド版にしたという。ただ宅配で読まれるものは以前と同じ大きさだという。やはり訊いてみるものである。すべてが「ちっちゃくなっちゃった」のかと思った。

たしかに交通機関に乗りながら読む時は小さなサイズの方が都合がいい。これは国が違っても同じである。日本の新聞社はどうして真似をしないのだろう。夕刊フジや日刊ゲンダイなどの夕刊紙は小さいが、大手は相変わらず柔軟性のない商売をしていると思われてもしようがない。

混み合った日本の電車内で新聞を読むためには、読者は縦の二つ折りをほとんど無言で強要されている。折り目の部分が読みづらいこと、この上ない。日本の新聞社はこの点で無策である。

だが、小型版の「シカゴ・トリビューン」を開いて、落胆した。約100頁。アメリカの新聞らしく、相変わらず各頁の7割ほどのスペースが広告で埋められている。これはいい。記事も短くなっていたのだ。内容も薄い。同紙は以前、重厚な記事を数多く載せ、アメリカ中西部からの一歩引いた視点が秀逸だった。

しかし、インターネットで読めるほどの文字数の記事しか掲載されていない。100頁見た限り、すべての記事がそうである。会社側はより読みやすくという点を重視して短くしたのだろうが、これではネット記事に負け続ける。

紙だからこそ長く ― だと思っている。週刊現代の部数が伸びているのはそこに起因するはずだ。

シカゴトリビューンの広報担当者に、「昨年以来、部数は伸びましたか」と訊くと、「そうでもない」と明言を避ける。

調べてみると、今年3月末時点で9.8%の減少だった。これはアメリカの602紙の日刊紙の平均減少率8.7%よりも悪い数字である。

紙は紙らしい特徴を出さないと、と言うだけは簡単なのだが、、、、。