オバマ政権の『反成長』という現実

アメリカでも日本でも、あらゆる産業の中心を担っているのは中小企業である。いつの時代も大手企業がメディアの注目をさらっているので中小は目立たないが、企業のほとんどは中小というカテゴリーに入る。

総務省が発表する「事業所・企業統計調査」によると、個人事業者を含めた企業数は日本全国に432万社あり、中小企業の占める割合は実に99.7%におよぶ。アメリカの企業数は約2377万社で、中小企業の比率は日本とほとんど変わらない。

オバマ大統領はかねてから中小企業の再生を誓い、政府の援助を惜しまないと語ってきた。7月末、ニュージャージー州のエディソン市に出向いて中小企業経営者との対話集会を開き、こう鼓舞した、、、続きは(堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

By the White House

尖閣問題の解決のしかた

中国人船長の勾留問題で、日中関係がきしんでいる。

中国では政府も市民も反日感情をあらわにしている。「人民日報」の国際版とでもいえる「環球時報」の世論調査では、98%の人が尖閣諸島に軍艦を派遣すべきだと回答しており驚かされる。この数字は信憑性に欠けるとしても、短期的に日中関係はすでに悪化している。

日本はもちろん尖閣諸島を古来から日本の施政下にある島と判断し、中国は釣魚島と呼んで中国の領地であるとしている。欧米の報道をみると、どちらに寄り添うわけでもなく、ロイター、AP、CNNなど、みな尖閣と釣魚島の両方を並列して客観報道のスタンスを貫いている。

昨日、話をしたドイツとフランスの記者はそれぞれ「尖閣を含めた領土問題が簡単に解決するはずがない。ずっと続くよ」、「尖閣の領有権が国際法などで決められているわけがない。両国は今後も自分たちの理由で領有権を主張しつづけるだろう」と平然としている。領土問題で経験の豊富なヨーロッパ人はかなり冷静である。

今回は中国船による公務執行妨害が争点だが、それは日本側からの話であり、根幹には当然のこととして領土問題がある。国際的に「尖閣は日本の領土」、または「釣魚島は中国の領地」といった取り決めはないので、これまで平行線を辿り、今後も簡単には解決しない。今月14日、国務省の報道官クローリーは「日中両国が平和的対話の中で解決することを願っている」とコメントしている。

私も日本人であるので、心情的には「尖閣は日本のもの」とする立場でいたいが、この事案については一歩引いて論じたい。メディアはほとんどすべて「日本の領地」としての立場だし、仮に他国と戦争をした場合、メディアはほぼ100%自国の立場を擁護するはずだ。けれども、そうした時期にこそブログの存在意義として、盲目的に自国の擁護論に寄り添わず、本当に両国の間で何が起きているのかを客観的に報道し、洞察すべきだろうと考える。

尖閣問題を客観的にみると、両国の主張は同列であり、深度もほぼ同じである。

日本側の根拠は1895年1月、政府が非公式の閣議で尖閣諸島を沖縄県に編入することを決めたところにある。だが清国(当時)には伝えられていない。当時から無人島だったが、20世紀初頭に日本人が入植し、鰹節製造が行われていたこともある。

中国側としては、15世紀の中国文献にすでに「釣魚台」が登場し、16世紀、17世紀から中国人は漁を行っていた経緯がある。ただそれは日本が鰹節を作っていたという主張と同じレベルで、両国は自己宣告しているに過ぎず、それで近隣諸国が納得していればいいが、そうではない。当時から「この岩山は我々のものですからね」といった一方的な宣言で領有権を主張しているに過ぎない。

沖縄がアメリカから返還された時に尖閣諸島も日本に戻ったとする解釈もあるが、それは国際的に通用しておらず、「自分たちの主張」の域をでていない。 爆破させて海に沈めるという手法もよく耳にするが現実的ではない。

1970年以降、中国は尖閣諸島付近の天然資源に触発されて、積極的に「昔からこの島は中国のものだった」と主張しはじめるが、こちらもこじつけ的な要素が充満している。日本国内でも40年くらい前までほとんど誰も尖閣という名前すら聞いたことがなく、日本側の利害が浮上したのも時期は重なる。

それでも尖閣周辺では日中の漁船が操業をしている。それが日中間の了解である。海上保安庁は今回、中国側の漁船が激突してきたために船長を勾留したとしているが、ビデオを早くメディアに公開して国際的に事件の原因究明を急ぐべきである。証拠の公開は例外というが、こういう時こそ例外を認めるべきである。

日本国内では中国が過剰反応をしていると思っているが、他国では微妙に違う。日本はむやみに中国の反日攻勢に乗じて、過激に対応してはいけない。

都知事の石原のような挑発発言で事態が解決するならいいが、効果はまったくの逆である。「ふざけるな。あそこは日本の領地だ」といったトーンは気分的には楽だが、問題の解決にならない。事態の収拾は地味だが現実的な対話による収拾しかないのである。(敬称略)

2グループに分かれ始めたアメリカ企業

アメリカの主だった家電メーカーがアメリカ国内でテレビを製造しなくなったのは20年以上前のことである。

業界再編や日本企業との市場争いで後退し、ゼネラル・エレクトリック(GE)を始めとする大手メーカーは国内でのテレビ製造を止めていく。携帯で名前が浸透しているモトローラも元々テレビを手掛けていたが、74年にテレビ部門を現在のパナソニックに売却した。唯一残っていたゼニスも95年に韓国企業に買収され、テレビを製造するアメリカ企業は消えた。

白熱球も今月、同じ運命を辿った。

トーマス・エジソンが19世紀に発明した電球は、本来もっともアメリカらしい家電パーツと言えたが、GEは9月にアメリカで最後まで残ったバージニア州の工場を閉鎖し、これからは製造をメキシコへ移転させる、、、、、続きは(堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』

オープン・イノベーションから一歩先へ

いまでも多くのことがアメリカから日本にやってくる。それは小売店で売られる商品から企業マネジメントにいたるまでさまざまだ。アメリカの衰退が叫ばれている中でも「新種モノ」は確実に海を越えてくる。 

そんな中、オープン・イノベーションというマネジメント手法が日本でしきりに語られ始めたのは数年前からである。

2003年、カリフォルニア大学バークレー校のヘンリー・チェスブロウ教授によって提唱されたその手法は、新しいモノを作る時、社外の技術力やアイデアを社内アイデアと同じように生かし、企業の境界線を越えていくというアプローチだった。

今では多くの日本企業でも研究されているが、いまだに「学んでくる」姿勢の段階から抜け出せていない。それは日本企業が外部のアイデアや技術に対し、究極的に胸襟を開いていないことが原因にあるようだ、、、、、(続きは有料メルマガで)。

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