ビンラディン・ハンティング

外遊中の国務長官ヒラリー・クリントンがパキスタンに立ち寄った時、こう発言している。

「パキスタン国内の誰かはオサマ・ビンラディンがどこに潜伏しているか知っているはず。告白すべき」

「9.11」からすでに9年の歳月がたとうとしている。首謀者であるビンラディンがパキスタンかアフガニスタンに潜伏しているだろうことは、ヒラリーでなくとも誰もが考える仮説である。

ただ、ヒラリーはアメリカの閣僚としてパキスタンを公式訪問し、「ビンラディンがいるだろう。出せ」と言っているに等しく、これは一般の人がブログで潜伏推測先を述べるのとはわけが違う。

by the White House

それに対し、パキスタンの首相であるユースフ・ラザー・ギーラーニーは「パキスタン国内にはいません」ときっぱりと反発した。このやり取りは双方が面と向かっている時に交わされたわけではないが、ヒラリーは10年近くも抱える懇望を述べた。

それはほとんど不可能はないと思われたCIAを中心とするアメリカ政府機関の捜査能力の限界を示すものでもある。地球上から1人の人間を探しだすことは特定の条件下ではたやすいが、パキスタンやアフガニスタンという国家においてはIT技術を駆使してもできないことが証明されている。

目撃者や情報提供者がいない限り、ピンポイントな場所を特定できない。まして、両国の山間部に住む人間がアメリカ側に情報を渡すことはないだろう。それだけに今後も捜索は困難を極める。

先月、ギャリー・フォークナーというアメリカ人がパキスタンからアフガニスタンへ越境しようとして地元の官憲に検挙され、10日間拘置された。すでにアメリカに送還されたが、フォークナーは短銃と刀、暗視ゴーグルを携行し、ビンラディンを殺害するためにパキスタン山間部を捜索していたという。

51歳の男はこれまでプロの捜索活動経験はなく、一般人としてビンラディンの拘束・殺害を企てていた。その背景にはビンラディン拘束の有力情報提供者に対し2500万ドルの懸賞金が支払われる事実も大きい。

フォークナーだけでなく、賞金めあてのビンラディン・ハンターが何人もパキスタンやアフガニスタンの山間部に進入しているはずだ。

ただ山間部に住む人間がカネで動かないことも証明されている。(敬称略)

米兵の自殺

暗い話題で申し訳ないが、今回は米兵の自殺についてである。

米軍の新聞『スターズ・アンド・ストライプス(星条旗)』を読んでいると、日曜版(18日)一面トップに、今年6月の米兵による自殺者数が過去最高を記録したとあった。

1か月だけで32人である。2007年の1年間の米兵自殺者が99人という数字を記憶している。その時点では史上最高と言われていた。しかし、今年6月だけで32人という数字はさすがに多い。

いったいどうしたのか。

アメリカはいまだにイラクとアフガニスタンの二国で戦争を続けている。日本で生活している限り、兵士が死と隣り合わせの状況で銃を手にしていることを想像するのは難しい。

                        

                  by the Pentagon

                                  

両国に派兵された米兵の約20%は躁鬱病を病んでいるという報告がある。それだけではない。軍隊内での人間関係や規律、さらに個人的な経済状況が加味されて数字が上向いているという。

ペンタゴンは「自殺防止タスクフォース」を設立して兵士が命を絶つことを阻止しようとしているが、兵士1人ひとりの心の内面にまで踏み込んで問題を解決するまでには至っていない。

99人という数字を、国際比較でよく使用する10万人あたりの自殺率に置き換えると17.3人になる。一般アメリカ人の平均が11人なので高い数字である。

ちなみに日本は07年の数字で24.4人。トップはベラルーシの35.1人。下位ではフィリピンの2.1人、ジャマイカの0.1人など、地理的にトロピカルな地域の方が自殺率が低い傾向がある。

ついこの間まで自宅のリビングでコンピューターゲームに興じていた20歳の若者が、経済的な理由から兵役に志願し、訓練を受けた後にアフガニスタンに派兵されてタリバンと戦闘をする。そこでの戦いはリセットが効かない死をかけた闘争である。

オバマ政権は2011年7月からアフガニスタンの撤退を開始するとしているが、流動的である。

フランス革命記念日

7月14日。日本ではパリ祭といわれる革命記念日の夜、南麻布にあるフランス大使公邸のパーティに招かれた。

混然とした東京の町に静謐な庭が広がっている。芝生の向こうにはプールがあり、うっそうとした木々に囲まれた空間は時が静止しているかのようだ。日の暮れ方、ホタルが飛んでも誰も驚かないほどののびやかさがある。

立食形式なので、立ち話しかできない。どのパーティにいっても、立ったままでは本当に身のある会話にはならない。大使も交えて参議院選挙の結果と今後の日本の政局について話したが、その場を離れれば薄い氷がすぐに溶けてしまうのと同じでほとんど何も残らない。

何枚もの名刺だけが重なって手元にある。フランス語の名前と顔がすでに一致しない。今日、町ですれ違っても先方が気づいてくれない限りこちらから声をかける自信はない。

それでも、新しく出会った人から一つでも心に残る言葉やセリフが去来すれば、私にとってはいいパーティだったといえるだろうが、その日は胸に刺さるものはなかった。ましてや名刺の肩書ではない。

帰る直前、目の前を料理評論家の服部幸應がテレビで観るとおりの黒い「マオカラースーツ」で通り過ぎたが、妙に寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。(敬称略)

必須の女性取締役

今年4月、あるニュースがアメリカ財界を駆け抜けた。

自動車業界の雄、ゼネラル・モーターズ(GM)が13番目の取締役としてシンシア・テレス氏という女性を抜擢したのだ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の精神神経研究所長である同氏は自動車業界どころか、財界とはほとんど縁のない精神科医である。

けれども、テレス氏はGMの取締役以外にも銀行や保険会社の取締役を務め、オバマ大統領からは「ホワイトハウス研究者委員会」のメンバーにも選ばれていた。医学界以外にも通じる高い見識と経験が評価された結果だった。

彼女の起用が財界を騒がせたもう一つの理由は、新生GMが女性取締役を4人も採用したことである。

GMは昨年6月、連邦破産法第11条(チャプターイレブン)を申請し、事実上破たんしたが、40日後には新生GMを誕生させていた。それまでGMはCEOをすべて社内の生え抜きで通してきたが、初めて外部から招いたCEOが通信大手のAT&TのCEOだったエドワード・ウィッテーカー氏である。

同氏は取締役13人中11人までを外部からの人材に頼った。テレス氏のような学者から異業種トップまでさまざまだ。その理由を同氏は言う。

「世界最高品質の車をお客さまにお届けすることが私どもの使命であり、そのためにはいろいろな経験や多様性を追求することが重要になってくると思います」

その結果として、4人の女性取締役の起用につながった。全体の比率では33%である。けれども、その数字が現在のアメリカ企業の女性取締役の割合を表しているわけではない。

アメリカで女性の社会進出が活発化した起因は60年代のウーマンリブ運動にまで遡る。しかし、大手企業の取締役にまで社会の階段を駆け上がる女性は今でも多くない。ニューヨークに本部を置く女性のための地位向上のための非営利団体「カタリスト」の最新調査によると、フォーチュン1000社の中で女性取締役を置く企業は11%に過ぎない。

 「ヨーロッパ女性専門職ネットーク」によると、ヨーロッパ連合(EU)のトップ300社で女性取締役に置いている企業は9.7%で、アメリカと大きな差はない。一方、日本企業はといえば1.4%という数字で、先進国の中では最低である。

この分野で世界を一歩リードしているのはノルウェーで、2003年から国営企業は女性取締役のクォータ制を導入し、「取締役の40%は女性にすること」という法律を順守している。08年からは民間企業も40%が適用され、現在は44%にまでなっている。男女平等の考え方が広く浸透している同国らしい法律である。

日本でも男女雇用機会均等法が整備されているが、一部上場企業の取締役の顔ぶれを眺めると、いまだに男性社会である。某大手自動車メーカーの取締役は20数名、全員男性である。

アメリカのコンサルティング会社「スペンサー・スチュアート」のジュリー・ダウム氏は現状をこう述べる。

「10年ほど前、アメリカ企業は女性の取締役を起用し始めました。けれども、それは外部からのプレッシャーに応じただけでした。今、それが変わってきています。1人だけでなく、2人、3人と女性取締役を就任されています」

ウーマンリブが起こっても、大手企業の取締役に女性が抜擢されることはほとんどなかった。アメリカの企業文化は白人男性が白人男性のために築き上げてきたものだからだ。

しかも多くの取締役は個人的なコネクションによって推薦されてきた。取締役の適任者という範疇に女性が入りにくいシステムができ上がっていたのだ。

だがノルウェーが先陣を切ったように、法律で女性取締役のクォータ制を導入する流れがヨーロッパ諸国からアメリカ、そして日本に上陸する可能性は出てきている。すでにフランスは今年になってから、ノルウェーのように取締役の40%を女性にする動きに出ている。

もちろん、反対意見もある。コーポレートガバナンスが落ちるという意見もあるし、クォータという数字が先にくることで、不適格な女性が取締役に就く可能性も指摘されている。

しかし世界人口のおよそ半分が女性である以上、女性の意見が企業内で十分に生かされる必要があるとの考え方がヨーロッパ諸国やアメリカで定着し始めている。

女性が取締役に就くことで、その企業の「窓」が開かれていることを示すと同時に、企業イメージのアップと商品開発への新たな視点が期待できる。

将来、日本の国会でも女性取締役のウォータ制を採決する日がくる可能性はある。

(JMAマネジメント・レビュー7月号から転載)