フォーリンフード

「本国を超えるものはない」

日本では他国にもまして、世界中の料理がたくさん食べられる。

けれども中国、フランス、イタリア、タイ、ベトナムなどの各料理を食して、本国のレベルを超えるほどのものは皆無にひとしい。これは日本に限ったことではなく、世界中で同じことがいえるのでいたし方がない。別に私がここで述べる必要はないだろう。ただ「なんとかならないか」という個人的希求が強い。

国境を越えるとさまざまな要素が加味されたり抜け落ちるので、ほとんどの料理は微妙に変化する。それが料理、ひいては文化のよさでもある。たとえば、鮨が海を越えてアメリカに渡ると「スシ」という微妙に違うものになり、広くアメリカ人に受け入れらるようになった。

「あれは鮨ではない」という人もいるが、文化の流れは誰も止められるわけもなく、むしろ興味深い。アメリカの「スシ」を食べ慣れた人は日本の鮨よりも好きという人さえいる。それはフィラデルフィア・ロールやボストン・ロールといった独自の巻物だけでなく、他国料理とのフュージョンであったり、シャリの中に含まれる砂糖の割合が日本の鮨屋よりも多いことが理由にある。

20数年前、ワシントンの鮨屋でシャリの作り方を実際に見た。その店では酢に合わせる塩と砂糖の分量が同じだった。それはそれはすさまじい量である。それまでシャリに砂糖が入ることなど知らなかった私には、ギョッとするほどの多さだった。

全米の「スシ」屋が同じ割合ではないが、日本の鮨屋より確実に砂糖の比率が高い。だからニューヨークで食べる本マグロの握りは、銀座の鮨屋で食べるものと見た目は似ているが、違うのである。日本では鮨屋によってまったく砂糖を入れないところもあり、味の違いは歴然としている。

違うものが生み出されることは歓迎するが、同時に本国のものと同じ味を外国で出してほしいと思う。アメリカに銀座の「さわ田」レベルの鮨屋が誕生することを願うし、逆にニューヨーク市ブルックリンにあるピータールーガー(ステーキ)が日本に来てほしいとも思う。

けれども、それが難しいことも経験上よく理解している。甘いシャリに慣れてから江戸前の砂糖ナシの握りを食べると、辛く感じることさえある。アメリカで砂糖が多くなったのは、ひとえにアメリカ人に食べてもらうためである。甘いほうが彼らが美味しいと感じるからだ。「さわ田」をボストンにオープンしても、経営が成り立たない可能性が高い。

それと同じことが中国料理やフランス料理にもいえる。砂糖の量ではなく本国の味という意味である。日本で食べられるフォーリンフードの99%は、日本人の味覚に合わせてあるといって差し支えない。それでないと客が来ない。

たとえば中国と日本の中国料理では、食材はもちろん、油と香辛料が決定的に違うからまったく別物と考えるべきだ。たとえば上海料理の源流の一つである寧波(ニンポー)料理は豚脂をよく使い、薄味の日本の中華料理になれた方には合わない。

フレンチしかりである。以前、料理評論家の山本益博氏がTVで「他のフレンチのお店には申し訳ないが、日本で本物のフレンチを味わえるのはジョエル・ロブションとロウジエの2軒だけ」と言っていた。同感である。東京だけでフレンチのお店は数千軒あるだろうが、99%は日本人向きである。

つまり、外国の「あそこで味わった最高の味」というものは日本ではまず再現されない。簡単な料理でさえそうだ。私は都内でずいぶんハンバーガーを味わっているが、まだ「最高!」という店に出会っていない。食べログのランキングにはガッカリさせられるだけだ。

先日も食べログで上位にランクされている原宿のハンバーガーをほおばったが、10点満点で2点くらいでしかなかった。こちらの期待が高すぎるのかもしれない。

アメリカのレストランでチーズバーガーを注文した時、ファーストフードの店は別にして、「肉の焼き具合はどうしますか」と聞かれないことはない。赤身のパティをヒッコリーチップ(北米産クルミ材)で燻製にし、「レア」でバランスよく出してくれるレストランは私の知る限り、日本にはない。                      

レストランだけではない。パンひとつをとってみてもそうである。私は調理パンをトレイに取ってレジに運ぶ日本のパン屋が好きで、たまにバゲットも買う。友人のフランス人女性が言った。

「あれは似て非なるもの」

                

 

                                

日本のバゲットは皮が薄過ぎると同時に、味に深みがないらしい。フランスでは1人で朝食にバゲット1本を食べ、昼も1本ということがあると話す。それくらい美味しいと強調する。フランスに住んだことがないので知らなかった。むしろ知らないということの方が、ある意味で幸せかもしれないと思ったりもする。

味覚というのは極めて繊細で、体の調子、温度や湿度、また店の雰囲気や食器などでも微妙に違ってくる。またこれまでの人生でどういうものを食べてきたかによっても、感じ方が違う。

私の望みは本国と同じかそれ以上美味しいものを日本で味わうことだが、1%の店にいつも行けるわけではないので諦めている。けれども和食については世界最高のものを食べられるのがうれしい。

それにしてもフォーリンフード、、、、アアである。