二人の年頭あいさつ

オバマと鳩山はそれぞれ28日(日本時間)と29日に、国民に対して年頭のあいさつをおこなった。 

アメリカでは一般教書演説、日本では施政方針演説と呼ぶが、年頭にその年の基本政策と政治ビジョンを示すという点では同じである。

両演説とも前向きで、よく練りこまれた内容だったが、諸問題の解決策を詳述しているわけでも、目を見張るような新しいアイデアが打ち出されていたわけでもない。けれども一国のリーダーとして基本姿勢を打ち出すことは意義がある。

二人の演説で多用された言葉は、オバマの方が「ジョブ(雇用)」で、鳩山は「いのち」だった。それぞれ20回以上も連呼した。

by the White House

アメリカの失業率は現在10%で、雇用創出が重要なのはよくわかるが、鳩山の「いのち」にはあまりピンとこなかった。

「世界のいのちを守りたい」「地球のいのちを守りたい」といい、平成22年度予算を「いのちを守る予算」と名づけさえした。しかし演説の最後に述べた震災の話で、私は鳩山の言葉が紙の上だけのものにすぎないことを知った。

少し長くなるが、最後の部分を抜粋する。

<今月十七日、私は、阪神・淡路大震災の追悼式典に参列いたしました。十五年前の同じ日にこの地域を襲った地震は、尊いいのち、平穏な暮らし、美しい街並みを一瞬のうちに奪いました。
式典で、十六歳の息子さんを亡くされたお父様のお話を伺いました。

 地震で、家が倒壊し、二階に寝ていた息子が瓦礫の下敷きになった。
 積み重なった瓦礫の下から、息子の足だけが見えていて、助けてくれというように、ベッドの横板を
 とん、とん、とんと叩く音がする。
 何度も何度も助け出そうと両足を引っ張るが、瓦礫の重さに動かせない。やがて、三十分ほどすると、音が聞こえなくなり、次第に足も冷たくなっていくわが子をどうすることもできなかった。
 「ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな。」
 これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこにも持って行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました。

 息子さんが目の前で息絶えていくのを、ただ見ていることしかできない無念さや悲しみ。人の親なら、いや、人間なら、誰でも分かります。(中略)あの十五年前の、不幸な震災が、しかし、日本の「新しい公共」の出発点だったのかもしれません。
今、災害の中心地であった長田の街の一画には、地域のNPO法人の尽力で建てられた「鉄人28号」のモニュメントが、その勇姿を見せ、観光名所、集客の拠点にさえなっています。
いのちを守るための「新しい公共」は、この国だからこそ、世界に向けて、誇りを持って発信できる。私はそう確信しています。>

けれども、日本のハイチ大地震の緊急援助隊の出動は遅れに遅れた。演説の中で「自衛隊の派遣と約7000万ドルの緊急・復旧支援を表明しました」と胸をはったが、地震から10日以上もたっていた。

しかも、私はある政治家から、「実はこの動きは官邸主導ではなく『外』からのアプローチだった」と聴いた。鳩山はみずから動いていなかったのだ。しかも鳩山が当初考えていた支援金はケタが一つ少なかったという。

私は地震発生から2時間後に鳩山の動きを注視していたが、何もしなかった(参照:ハイチ大地震 )。少なくとも消防庁は、地震発生後1時間後には救助隊員をハイチに派遣する準備をし、官邸からの指示を待ったという。だが鳩山は動かなかった。

2日後に医療チームだけは派遣されたが、これは外相の岡田が動いたものである。鳩山から本気で助けようという気は感じられない。

にもかかわらず、「いのちを守るための新しい公共は、この国だからこそ世界にむけて」などとよく言えたものである。

演説原稿を自分でししためる時間がないことはわかる。けれども、本番前にこのくだりを読んで、自分で訂正しなくてはいけない。

首相としての信頼度がさらに落ちる。(敬称略)