イマをみるということ

日本の本屋でアメリカ関連の書籍を眺めると、アメリカの衰退について書かれている本が多いことに気づく。

人の心理として、これまでトップに君臨してきた国や人物が堕ちていく過程を見るのは、ひとつの清涼剤でさえある。隣人は多くの場合、比較の対象として眺められ、「となりの芝生は青く見える」という意識と「人の不幸は蜜の味」という心もちが混在する。

アメリカに対する日本人の思いはその両方であり、しかも両極にかたよる傾向がある。いまでも音楽・映画をはじめとする文化的影響は多大で注目度も高いが、ドル下落をはじめとする経済力の低下による大国の弱体を見たいという思いも交錯している。

心情的には「アメリカ大嫌い」か「アメリカ大好き」のどちらかに分かれる。

アメリカにきて各地で多くの人と話をしている。政府高官や学者、エコノミスト、一般市民らの自国に対する思いは、日本人がいだくアメリカ観と乖離していることに驚かされる。フランシス・フクヤマやジョセフ・スティグリッツといった有識者はアメリカの終わりを記してはいるが、それは一部の意見に過ぎない。

メディアの世界は悲観論の方によりウェイトを置くので、アメリカの全体像を見誤る。「アメリカのさらなる繁栄」といった肯定論の本は売れにくく、雑誌の特集にも組まれにくい。まして日本人の著者の中にはアメリカに足も運ばず、ネット上での情報の切り貼りに終始している者も多いので、アメリカを大局的に見通している人は少なく、一部の事象が過大に報告されて、それが今のアメリカの姿という結論に陥りがちである。

政党や年齢に関係なく、多くのアメリカ人はいまでも「楽観論」をたずさえている。これは時代を超えている。単に楽観だけであると将来は暗いが、前に進むエネルギーは並ではない。

「アメリカが堕ちるのは歴史の流れだよね」というコメントは、現段階では安直といって差し支えない。そうした人たちは、どれだけイマのアメリカを知っているのかと問いかけたい。

          

最後に言おう。この国の衰退はあと10年はないと。