演説の力

やってくれるものである。

またしてもオバマの演説(カイロ大学での演説原稿)にうなってしまった。6月4日にエジプトの首都カイロで行った中東問題についての演説は、04年にオバマがボストンの民主党大会で行った演説を彷彿とさせた。ワシントンにいるアメリカの研究者と電話で話をしても、いつもは辛口の彼が褒めている。

イスラエルとパレスチナとの積年の紛争は、カリスマ性のある指導者がアメリカに登場しても容易に解決しないことは誰もがしる。ただ、こうした演説によって両サイドに和平へのビジョンを示し、その可能性を真剣に探りはじめた点で評価できる。

しかも、しっかりとカイロ大学という教育の場を選んだところにホワイトハウスのしたたかさをみる。一般大衆ではなく学生が聴くという前提を作って「聴きてください」という口調でものを語ったことで、演説はむしろ講義に近かった。もちろん意図された聴衆は学生ではなく15億人といわれるイスラム教徒とユダヤ教徒である。

現場で観たかったが、ユーチューブで観るだけでもオバマらしい演説の力を再び実感できた。場内にいると想起して演説を聴くと、力強さと説得力が耳に心地よい。コーランや聖書の一節が巧みに引用され、スピーチライターのジョン・ファブローが書いたと思われる巧みな表現が数多く登場する。

「分断されるより利害を分かち合う方が人間としてはるかに強い」

オバマの中東和平への希求は選挙中からぶれていない。07年初頭、オバマが大統領選挙の候補として浮上してきた時、イスラエルのハアレツ紙はオバマを「もっともイスラエルには好ましくない候補」として挙げた。逆に多くのアラブ人は、オバマであればこれまでの親イスラエル政策をとるアメリカ大統領と違って「アラブ人の味方」になってくれると期待した。

しかしオバマは選挙中、イスラエルを刺激する発言はひかえ、イスラエルのロビー団体「アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」の年次総会にも出席し、イスラエルへの配慮を忘れなかった。それでもクリントンやブッシュと違うのは、5月18日にホワイトハウスでイスラエル首相のネタニヤフと会談した時、入植地の拡大を停止するように求めたことだ。冷静にみれば当たり前のことで、これまでの大統領が政治的しがらみから言えなかったことである。保守派のネタニヤフはもちろんこれを好まない。

そうした中、オバマはカイロ演説で、パレスチナとイスラエルとの2国家共存という野望をアメリカの理想主義の延長線上に投影させた。もちろん紆余曲折の多いイスラエルとパレスチナが、オバマの描くシナリオどおりに戯曲を演じるとは考えにくいが、腕のいい新人戯曲家が登場したということをあらためて世界は知った。

麻生や鳩山にこうした国際的な戯曲が書けるだろうか。イギリスのブラウンもフランスのサルコジも、ロシアのメドベージェフも無理だろう。世界のリーダーの中で、中東和平を実現できる可能性のある政治家は現時点でオバマしかいない。そのためには中東で利害をいだくプレーヤーたちが舞台に上がらないといけない。積極果敢な外交姿勢を期待したい。(敬称略)

『プレジデント・ロイター』での連載:「オバマの通信簿」