速読がやってきた

速読を習いにいっていた。

講義をうけた時間は延べ50時間以上になる。これまで私の読書スピードは1分間800字ほどで、平均的な日本人と同じだった。書くことを職業にしているが、読むスピードは普通だった。どうしても早く読まなくてはいけない時は斜め読みでしのいでいた。

講義でわかったことは、1分間800字というのは小学校6年生で到達するスピードだった。それから進歩していないのだ。ただほとんどの人は老人になっても800字というスピードなのだという。速読は技術であり、意識的に身につけないとけっして10倍のスピードで読めるようにはならない。

50時間の学習がおわり、いまは当たり前のように単行本1冊を1時間以内で読んでいる。本来200ページの単行本なら15分で読むべきだが、まだ初心者なのでもう少し時間がかかる。上級者は1冊1分である。信じられないかもしれないが、これがちゃんとできるのである。

私の中で、「普通の読書」はすでに過去のものとなった。過去数年を振り返った時、旅と人との出会い以外でもっとも劇的な出来事である。久しぶりに訪れた歓喜といってさしつかえない。

アメリカにも速読術(ファーストリーディング)はあるが、ほとんどがスキミングとかスキャニングという手法で、素早く文章に目を通して要旨をつかまえるやり方だ。しかし私が学んだ技術は考え方が違い、「すべてを見る」のである。

「早く読むと内容が把握できないだろう」との疑問をもつ方がいるかもしれない。当然である。私も講義前はそう考えていた。しかし、それは固定観点であって、速く読むからほとんどの内容を覚えていられるのである。

小説であればストーリーがあるので、ゆっくり読んでも本の最初の部分は比較的おぼえていられるが、章ごとに違う内容が書かれたノンフィクションだと、3日前に読んだ第1章は「何が書かれていたっけ?」ということになる。そうなると、読了した時に達成感だけが残り、何が書かれていたかとの疑問には答えられない自分がいたりする。だが15分で読み終えれば全体が残っている。

試しに、普通のスピードで本を800字(単行本1ページ半)読んでみる。そしてすぐに読んだ内容を書き出してみると、これがお粗末なことしか書けないのである。しかし速読術を学んだあとは理解力も格段に増していた。驚くべきことである。

速読の定義は1分間で5000字以上である。このスピードは私がこれまでやっていた読書では決して追いつけないペースである。それだから技術が必要になる。普通の読書はいくらスピードをあげても、結局は文章を頭の中で音読しているから速度があがらない。

ところが、講義を受けた速読術は「光の読書」といって、音読しないのである。本当に「目からウロコ」のようなことが起きた。もちろん本だけでなく、インターネットの横書きの文章や新聞・雑誌など、活字になったものはすべて速く読める。

新聞も面白いように速く読める。これまでタイトルを見て興味があるか重要と思われる記事だけを読んでいたが、今は1面から政治、経済、国際の各分野の記事をほとんどすべてスーッと目の中に入れてしまう。怖いくらいである。

毎日新しい本を1,2冊読むので本代がかさむが、嬉しい悲鳴である。

演説の力

やってくれるものである。

またしてもオバマの演説(カイロ大学での演説原稿)にうなってしまった。6月4日にエジプトの首都カイロで行った中東問題についての演説は、04年にオバマがボストンの民主党大会で行った演説を彷彿とさせた。ワシントンにいるアメリカの研究者と電話で話をしても、いつもは辛口の彼が褒めている。

イスラエルとパレスチナとの積年の紛争は、カリスマ性のある指導者がアメリカに登場しても容易に解決しないことは誰もがしる。ただ、こうした演説によって両サイドに和平へのビジョンを示し、その可能性を真剣に探りはじめた点で評価できる。

しかも、しっかりとカイロ大学という教育の場を選んだところにホワイトハウスのしたたかさをみる。一般大衆ではなく学生が聴くという前提を作って「聴きてください」という口調でものを語ったことで、演説はむしろ講義に近かった。もちろん意図された聴衆は学生ではなく15億人といわれるイスラム教徒とユダヤ教徒である。

現場で観たかったが、ユーチューブで観るだけでもオバマらしい演説の力を再び実感できた。場内にいると想起して演説を聴くと、力強さと説得力が耳に心地よい。コーランや聖書の一節が巧みに引用され、スピーチライターのジョン・ファブローが書いたと思われる巧みな表現が数多く登場する。

「分断されるより利害を分かち合う方が人間としてはるかに強い」

オバマの中東和平への希求は選挙中からぶれていない。07年初頭、オバマが大統領選挙の候補として浮上してきた時、イスラエルのハアレツ紙はオバマを「もっともイスラエルには好ましくない候補」として挙げた。逆に多くのアラブ人は、オバマであればこれまでの親イスラエル政策をとるアメリカ大統領と違って「アラブ人の味方」になってくれると期待した。

しかしオバマは選挙中、イスラエルを刺激する発言はひかえ、イスラエルのロビー団体「アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」の年次総会にも出席し、イスラエルへの配慮を忘れなかった。それでもクリントンやブッシュと違うのは、5月18日にホワイトハウスでイスラエル首相のネタニヤフと会談した時、入植地の拡大を停止するように求めたことだ。冷静にみれば当たり前のことで、これまでの大統領が政治的しがらみから言えなかったことである。保守派のネタニヤフはもちろんこれを好まない。

そうした中、オバマはカイロ演説で、パレスチナとイスラエルとの2国家共存という野望をアメリカの理想主義の延長線上に投影させた。もちろん紆余曲折の多いイスラエルとパレスチナが、オバマの描くシナリオどおりに戯曲を演じるとは考えにくいが、腕のいい新人戯曲家が登場したということをあらためて世界は知った。

麻生や鳩山にこうした国際的な戯曲が書けるだろうか。イギリスのブラウンもフランスのサルコジも、ロシアのメドベージェフも無理だろう。世界のリーダーの中で、中東和平を実現できる可能性のある政治家は現時点でオバマしかいない。そのためには中東で利害をいだくプレーヤーたちが舞台に上がらないといけない。積極果敢な外交姿勢を期待したい。(敬称略)

『プレジデント・ロイター』での連載:「オバマの通信簿」