ヒラリー訪日の真意

ヒラリー・クリントンが訪日した。彼女の「最初の外遊先が日本だった」と浮かれているのは、ごく限られたメディアと国際関係にウトイ人たちだけだろう。

ヒラリーもオバマも日米関係が盤石であることはよくわかっているし、両国の文化交流と財界における個々の絆の深さは熟知しているはずだ。同時に、彼らは日本が東アジアの諸問題を主導的に解決できないことも知る。まして現在の世界的な不況と金融危機、貿易総量の減少というトリプルパンチに、世界第2位の経済大国の日本が効果的治療薬を投与できないことも理解する。だが、外交舞台である。むやみに日本を責めたりはしない。

オバマの最初の外遊先がカナダであることでもわかるように、ヒラリーはいきなり緊迫した地域であるガザとイスラエルに飛んで和平を急いだりはしない。イラクとアフガニスタンにもいかない。まずはアジアで肩ならしである。

ヒラリーがアメリカを離れる前週の金曜(13日)、ニューヨークの「アジア協会」で講演を行っている。そこでのスピーチに、今回のアジア歴訪の意図が見え隠れする。

「外交と国際開発の新しい時代に突入した。古くからの同盟国と新興国と手を取り合って、『スマートパワー』を有効利用して直面する世界的、地域的な諸問題を解決していかなくてはいけない」

このくだりは大枠のビジョンである。その先に、核心がのぞいている。

「中国がどれだけ大切か。前向きで協調的な中国との関係が東アジアだけでなく世界中にとってどれほど不可欠かは論を俟たない。(中略)米中両国の経済協力は核兵器の安全保障や気候変動、そして伝染病対策にいたるまで極めて重要だ」

アメリカにとって、中国はいまだに主義主張と価値観の違う国だが、お互いが避けて通れないパートナーであるという意識をヒラリーはもつ。

一方、彼女は先月の上院公聴会で「日本は東アジアの要(コーナーストーン)」と言った。それに嘘はないだろう。しかし、日本の先に大国の中国が透けている。アメリカではほぼ10年前から、アジアで最重要の国家は日本ではなく中国という共通認識ができている。それはクリントン政権の90年代、日米関係が「アメリカにとって最重要な二国間関係」と表現されたが、近年は「たいへん重要な二国間関係」にトーンダウンされている。ヒラリーも今回、日米関係を「たいへん重要」といった。

それだけではない。麻生内閣のふがいなさは今や世界中に伝播している。有楽町の外国特派員協会の特派員たちと話をすると、すでに麻生の政治生命は終わっているとの声が聞かれる。

イギリス人記者は「麻生のような脆弱な政治家がリーダーでは、現在世界中から期待されているオバマと対等でいられるわけがない。日米関係は過去60年以上ずっと片務的だったが、いまはこれまで以上にワンサイドになっている。ヒラリーを迎えても、日本人は相変わらず意味不明の微笑で応えているだけ」と現実を語る。

ドイツ人の経済記者はもっと醒めた見方をする。

「国内での支持率が10%以下の麻生が世界でリーダーシップを発揮できるわけがない。それでなくても国際舞台でリーダーシップをとれないのだから、日本が主導して世界的金融危機を脱出させられるわけがない。ガイジンはみんな日本の政治家に呆れていることを日本人は知るべきだ」

ガイジンだけでなく、すでに9割以上の有権者が麻生に愛想を尽かしているので10%を割り込む支持率なのだ。国務長官ともなると記者ほど本音を語らないが、ヒラリーは今回、次期首相の可能性がある小沢との会談をもっとも期待していたに違いない。(敬称略)

猫がきっかけ

久しぶりに大阪に行ってきた。

「オバマ政権と日米関係」というテーマで講演するためである。選挙中からオバマについてはいろいろと書いてきたので、集積してきた経験と知識をすこしでも多くのかたと共有できればと真に思う。話をする機会を頂ければ、できるだけお応えするようにしている。

東京から大阪に向かう新幹線は空いていた。まして車中で講演の準備をしていたため、まわりの人にはほとんど関心がおよばなかった。浜松を過ぎたあたりでトイレに立ち、席にもどるときに通路の反対側に目をやった。見覚えのある人が私の席とちょうど反対側に座っていた。

「養老孟司だあ」

新幹線や飛行機に乗ると、メディアに登場する人と出くわすことはよくある。そこでお友だちになれるわけではないが、なんとなくミーハー的な熱が一瞬だけ表出する。しかし、こちら側によほどの理由があるか、熱烈なファンでない限り声をかけることはない。私は「養老さんだあ」と心の中でつぶやいただけで、自分の席にもどった。

『バカの壁』は流し読みしたが、大ファンと呼べるほどではない。ただ、妻が「うちのまる」という彼の本を持っている。「まる」というのは彼の飼い猫で、愛らしい写真がたくさん載っているほのぼのとした本である。

私の家にも猫が1匹いるので、携帯の中にセーブされている互いの猫の写真を見せ合いながら(きっと彼もセーブしている)、猫の話だったら語り合えるかもしれないと思いつつ、時おり反対側の席に目をやっていた。彼は車内販売のコーヒーとアイスクリームを買って、単行本をずっと読んでいる。しかし、言い出すきっかけがつかめない。

ジャーナリストという仕事を職業にしてから、私は知らない人に声をかけてインタビューしたり、未知の世界に飛び込んでいくことに違和感どころか喜びさえ感じるようになっていたので、養老孟司に声をかけることは何でもないことだった。だが新幹線の車中という、一人で静かに読書を楽しめる空間を邪魔することはいかがなものかとの思いがあった。

「どうしようかなあ」と思いながら、自分の講演内容にも思いをはせていると電車は京都に着いた。ふと横をみると、彼はすでに席を立って出口のほうへ歩いていた。

「遅かった」

講演ではオバマ政権の誕生と今後について、自分の思うところをお話した。質疑応答を含めて2時間では足りなかった。聴いてくださった方々がどう受け止めてくださったかはわからないが、たいへん楽しめた2時間だった。

帰りの新幹線も空いていた。反対側の席に目をやると、「エエエエー、プロレスラーの蝶野正洋だあ」。独特なサングラスと髪型、革製のパンツが印象的だ。

そういえば彼も猫を飼っていたように記憶している。彼のファンではないが、話をする人としては面白いかもしれない。

「ここは行ってみるか」。そう思っていると、彼がスッと立ってトイレの方に向かった。

「ンッ?背が小さい。別人だ」

人生、こんなものである。(敬称略)