上海の夜

アメリカ大統領選挙が終わってすぐ、航路で上海に渡った。

「堀田さん、船に乗って原稿を2、3本書きませんか」というお誘いに嬉々としてうなづいた。

船は横浜港からまっすぐ西進せず、瀬戸内海の島々を抜けてから豊後水道を南下し、それから東シナ海を横断する航路をとった。

飛行機であれば、成田から上海まで約3時間だが、ゆったり旅は4泊5日で進む。ありがたいことである。ただ、携帯電話もインターネットも使えないというのは、私のようなフリーで生きている人間にとっては仕事の依頼を失うことでもある。だが、開き直るしかない。

日常からの脱出をはかると、思わぬところで思わぬ発見がある。まず人との会話に深みが増す。自分自身について深く考える機会ができるので、思索と呼べるほど大したものではないが考えに深度が増す。

ただ残念なのは、船から降りるとまたいつもの私なのである。上海について携帯電話とインターネットの環境が整うと、すぐに忙しさの中に自身を埋没させてしまう。それで安心感があるというのはどういうことなのだろう。都市生活の弊害と言ってしまえばそれまでだが、もう逃れられないところまできている。

上海は相変わらずの風景だった。新築高層マンションの10メートル横には、今にも朽ち果ててしまいそうな古い民家が並んでいる。民家の二階の窓からは洗濯物が干されている。

それはパリコレでスポットライトを浴びる180センチの女性モデルと、着古したパジャマのまま路傍にたたずむ148センチの歯の抜けた老婆が並んでいる風景である。超近代と昭和30年代の日本の混在という風景は5年前と同じである。

「中国は半年行かないと風景がガラッと変わる」と中国通の知人に言われるが、私にとってはまだ想定内である。

この前まであった民家がなくなって高層ビルが建設されているという点ではあたっているし、以前まで農地だった浦東地区にマンションが建ったということでは見ていて面白いが、都市風景という視点からの上海は何も変わっていない。

世界で2番目に高い「上海環球金融中心(上海ヒルズ)」の最上階に上がって町の夜景を見ても、きらびやかさは増したが、あと5年たっても148センチの老婆の身長は伸びない。そんな印象である。上海の夜景が途切れる地平線の向こうはまだ暗黒である。

中国の本当の強さはそうした老婆がすべて他界したあとにくるのだろうと思う。漠然としているが、15年先というのが私の見立てである。

その時はほとんどすべての経済指標で中国は日本の上を行くだろう。IMD(スイスの国際経営開発研究所)が毎年発表する国際競争力のランクで、日本はすでに22位である。

上海の夜景を眺めながら、日本の不穏な行く先を憂うのである。

変わる面白さ

「ライフワーク」と自称している大統領選挙は、予想通りオバマ勝利に終わった。

多くの媒体から執筆やコメント、出演の依頼を受け、出せるものはほとんど吐き出してしまったという印象が強い。6月初旬、オバマがヒラリーを破って民主党代表候補に決まったときから、11月の本選挙で彼が勝つことは疑う余地がなかった。

共和党大会の前後で「ペイリン現象」なるものが生じたが、それは短期的な時流であって、底流に流れるオバマ支持にはほとんど影響がなかった。それは安心して見ていられた。

だが私は、今年の選挙で二つの過ちを犯した。拙著に記したことが外れたのである。民主党ではヒラリー、共和党ではジュリアーニが本命と書いた。本の原稿を書き終えたのが昨年11月末だったことは言い訳にならない。なぜなら、拙著を読んでいただくのは今年だからである。

昨年の今頃、ヒラリーはオバマに10ポイント以上の差をつけていた。ヒラリーは集金額でもオバマに大きく差をつけていた。ジュリアーニしかりである。だが、結局はヒラリーもジュリアーニも過去の人となり、見事に外れた。

新聞社にいる記者であったら更迭もあったかもしれない。大手新聞社の友人は以前、「政局を外したら部内でなんらかの仕打ちがある」と話していた。フリーランスという立場はありがたく、「どうして外したんですか」と正面から言ってきた人は一人だけだった。

投・開票日はテレビのナマ番組にコメンテーターとして出演し、オバマ次期大統領誕生の瞬間をテレビの中から観られたが、あまりにも予想通りの展開だったので拍子ぬけした。

アメリカの政治勢力図は2000年から変化していない。オバマは、04年にケリーが勝った全州を奪うことは容易に予想できたし、その上でオハイオかフロリダのどちらかで勝てば勝利する流れだった。結局、両州だけでなくバージニア、ノースカロライナ、インディアナという激戦州もオバマが勝ち、圧勝に終わった。

日本では、南部諸州はほぼ無条件で共和党にいくと思っている方がいるが、間違いである。候補の出身地が大きく獲得州に関与する。たとえばカーターが勝った76年、テキサスからルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージアと続くディープサウスはすべて民主党に流れた。カーターがジョージア州出身だったからである。

逆に80年のレーガンは、現在のリベラル州の代表であるカリフォルニアを確実に獲った。もちろんレーガンがカリフォルニア州知事だったからである。92年、アーカンソー出身のクリントンは同州の他、南部ではルイジアナ、ジョージア、テネシーを奪った。 

オバマが再選をめざす2012年の勢力図は、現在とほぼ同じと予想される。しかし、共和党がカリフォルニア出身の強力な候補を立てると事態は変わってくる。

「変わる面白さ」がアメリカの政治であると知ったのはずいぶん昔のことである。(敬称略)