オバマ・オン・ザ・ステージ

まさに圧巻だった。

オバマの演説である。2004年8月、ボストンのフリートセンターという会場で行われた民主党全国大会の記者席で、オバマの演説を初めて聴いて鳥肌がたったことは当時のホームページ(急がばワシントン)に書いた。

オバマの演説は今、さらに磨きがかかっている。2月8日、ワシントン州シアトルのキーアリーナという会場にはオバマの話を聴くために約2万人が集まった。数千人は会場に入りきれなかったという。いまは日本にいるのでナマの演説を聴くことはできないが、「ユーチューブ」がある。

それは「オバマ・オン・ザ・ステージ」といえるショーだった。不覚にも鳥肌がたち、涙がでそうになった。その迫力は日本の政治家にはないものである。過去4回の大統領選挙をニューハンプシャー州予備選から本選挙まで取材しているが、2万人の聴衆があつまった話はきかない。ヒラリーは2000人規模の会場を満席にできないでいる。

若者がみずからの意志で政治家の演説を聴きにいくのである。人通りの多い駅前を選んで話をする日本の政治家とは根本的にちがう。そこでは政策の詳細を聴きに行く人はいない。分かりやすい表現と区切りのいい文脈で話をするように訓練されたオバマは、将来へのビジョンとメッセージを語るだけである。

歌手や俳優というよりも新興宗教の教祖に近い空気感がある。「政治は宗教」と単純な図式では語れないが、一人の候補を信じるか信じないかという点では似ていなくもない。国民の心の掌握術を会得しているので、演説という点でオバマはヒラリーの比ではない。

日米で机上論をのべる識者は、選挙戦を実際に取材していないのでこの空気を読めていない。予備選の段階で、すでに有権者が政策のよしあしで判断すると考えている。キーアリーナに足を運んだ2万人に話を訊いてみるといい。彼らはオバマを「観にきた」のである。その点で、彼はショーの主役である。

私は毎月、ある勉強会に顔をだしている。衆議院議員を囲んだ会だ。議員がオバマの演説をナマで聴きたいという。日本の政治家で若者を1万人も惹きつけられる人はいないからだ。多くの人が政治に興味を示さないのは、演説の名手が国会にいないからかもしれない。

ヒラリーの演説はワシントンで幾度となく聴いたが、「頭脳明晰な人」という印象だけが残って、一票をどうしても投じたいとは思わなかった。ヒラリーの選対は1月末まで磐石の態勢でオバマと互角のレースを展開したが、今ではヒビが入り、中からガスが漏れている。

個人的な思い入れはないが、私はヒラリーの選対の組織力を買っていた。ヒラリーが戦いつづけるならば5月まで決着はつかないだろうが、3月4日のミニチューズデーの結果次第でヒラリー撤退というニュースが聞こえてくる可能性もある。予備選の展開はいつも早いのである。(敬称略)